国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (6)

 

シリーズ第6回は、国連地雷対策サービス部(UNMAS)の南スーダン事務所に6月まで勤務し、現在はUNMASシリアでプログラムオフィサーとして勤務する吉岡由美子さんです。南スーダンは、独立までの長い紛争とその後の国内紛争で、多くの地雷やクラスター爆弾などが使われました。現在も残っている地雷や不発弾は、人々の生活だけでなく国の開発や復興も妨げています。これらを除去する地道な作業が進んでこそ、TICAD VIで協議されるアフリカの包括的な開発が可能になります。吉岡さんに、南スーダンでの地雷除去の状況などを寄稿していただきました。(この寄稿は2016年7月の戦闘再発の前に執筆されたものです)

  

6回 国連地雷対策サービス部(UNMAS) 吉岡由美子さん      

~平和の礎を作る仕事で不可能を可能にしたい~

 

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                                                        吉岡 由美子 (よしおか ゆみこ)

                                     国連地雷対策サービス部(UNMAS) シリア   プログラム・オフィサー

山口県出身。大阪外国語大学(現大阪大学)、同大学院修了、在学中にダマスカス大学へ留学。大学院修了後、JICAヨルダン事務所でイラク復興支援担当企画調査員、外務省中東アフリカ局中東第一課で対パレスチナ支援担当官。その後、国連地雷対策サービスでアビエイ、リビア南スーダンを経て、2016年6月よりUNMASシリア プログラム・オフィサー

 

 

南スーダンの首都ジュバは、アフリカ初開催のTICADが開かれるケニアのナイロビから北西に約1100キロ、飛行機で約1時間半のところにあります。私はジュバにあるUNMAS(United Nations Mine Action Service, 国連地雷対策サービス部、以下UNMAS)の南スーダン事務所に2016年6月まで3年4か月勤務していました。

 

2011年7月に、世界で最も新しい国として独立した南スーダンは、南北スーダン時代からの数十年にわたる紛争のため、また、13年12月に発生し現在も断続的に続く武力衝突のため、今なお地雷や不発弾などの爆発性危険物が残っており、人々は爆発物の脅威を感じながら生活しています。日本で生まれ育った皆さんは、日々、爆発物の恐怖と隣り合わせの生活というのは想像し難いのではないでしょうか。UNMASは、爆発性危険物を見つけ出して処理し、開発や復興支援、またその前段階にあたる人道支援、人々が安全に安心して暮らすための基盤を整える役割を負っています。それは平和の礎を作る仕事であり、同時に困難なミッションでもあります。

 

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除去作業を行う作業員  ©UNMAS

 

 

南スーダンで地雷対策の仕事をしています。住居と事務所はコンテナを改造したもので、同僚の大半は元軍人で自国の軍でも爆発物の処理を行なっていた男性たちです」とお話しすると、「それはとても大変で厳しいお仕事なのでしょうね」と皆さん気遣ってくださいます。もしかしたら米国の映画『ハート・ロッカー』(2009年公開のイラクでの米軍の爆発物処理班の活動を描いた映画)に出てくるような派手な爆発物処理シーンを想像されているのかもしれません。現場でも一番の最前線で活動する作業員は、気温40度という過酷な環境の中で10キロの防護服を身につけ、気の遠くなるような地道な作業を続けながら爆発性危険物の除去活動に取り組んでいます。また、彼らは、爆発物から自分の身を守ることを目指す危険回避教育や、被害者支援、キャパシティ・ディベロップメント、啓発活動なども行なっています。

 

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 地雷注意マーク (筆者提供)

 

南スーダンは2013年12月以降、深刻な人道危機にありますが、地雷対策の地道な作業は、人々の生活に安全と安心をもたらし、人道支援を可能にします。それだけではなく、インフラ整備、農業、市場での買い物といった小さな経済活動から、国内外の物流といった大きな経済活動までをも支えることとなります。さらに、教育や医療といった分野の支援にも繋がります。ここでは、困難なミッションの成功例を紹介します。

 

【ミッション1:移動インフラ支援 ~人々の安全な移動を確保せよ~】

南スーダンでは基礎インフラの整備が遅れています。道路整備の遅れは、人の移動や物資輸送を困難にしています。国の総面積は日本の約1.7倍にあたる64万平方キロですが、雨季になると60%以上の国土に陸路ではアクセスできなくなってしまいます。国内で舗装されている国道は、首都のジュバからウガンダ国境へ抜ける192キロのみです。このため、食糧や医療などの人道支援関係者は空路で移動しています。彼らが安全に支援活動を行えるよう、UNMASはヘリが発着する飛行場の安全確認調査を頻繁に行っています。

 

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 UNMASが安全確認を行った空港から離陸するヘリ  ©UNMISS

 

数年前、WFP(World Food Programme)がフィーダー・ロード・プロジェクト(Feeder Roads Projects)を始めました。遠隔地へ飛行機から直接食糧を投下するのではなく、道路を建設し陸路で輸送することで、飛行機を飛ばすコストを削減し、少しでも多くの食糧を支援しようとする試みです。WFPからの要請を受け、UNMAS は道路建設予定地で調査や地雷など危険物の除去作業などを行いました。道路完成後、この道を使って助けを必要としている人々のもとに食糧を届けています。

 

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 WFPの食糧配給のためのコンボイ  ©アルバート・ゴンザレス・ファッラン

ミッション1、完了。

 

【ミッション2:教育インフラ支援 ~教育への安全なアクセスを回復せよ~】

南スーダンでは、就学人口の約半数の子どもが学校に通えない状態にあります。紛争で800あまりの学校が破壊され、場合によっては兵士たちに使用されることもあり、兵士が去った後には爆発性危険物や武器が残されていることもあります。UNMASはこういった場所の安全性を調査し、必要であれば除去し、子供が安全に学校に通えるようにしています。また、子供たちに危険回避教育を実施しています。

 

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 UNMASの調査と地雷除去後、ベンティウのフレンドリー小学校で行った危険回避教育   ©UNMAS

 

北部の町レールでは、学校建設や修復を支援するため、UNMASは40カ所近くを調査し除去作業などを行うと同時に、児童、教員や両親に危険回避教育も重ねてきました。

ミッション2、完了。

 

【ミッション3:農業・経済支援 ~人々に安全な経済活動の場を提供せよ~】

北部ユニティー地方のニョロ村では、地雷が残っていたために農業を行なうことができず、また、水源へのアクセスも阻まれていました。この村で、UNMASは64個の対人地雷と8個の対戦車地雷、さらに5個の不発弾を除去しました。人々は水源の利用を再開し、農業ができるようになりました。村の長老は「我々はようやく自由を手に入れたのです。以前はまるで牢獄にいるようでした。地雷の脅威のためにどこへも行くことができず、いつも、爆発物の脅威に怯えていました。今は、安心して水を汲みにいけるし、十分な食糧を育て収穫できるようになりました。それだけでなく、売りに出すための農作物も収穫できるようになったのです。これは我々にとって大きな変化です」と話してくれました。

 

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ニョロ村での聞き取り調査。住民との対話は重要な情報源  ©MAGショーン・サットン

 

UNMASは爆発性危険物の残された市場でも除去作業を行い、人々が安全に市場を使えるようにするなど、住民の日々の経済活動を支えています。

ミッション3、完了。

 

こういった活動を可能にしてくれているのは日本政府、また日本の皆さまの支援のおかげでもあります。日本はUNMASへの最大のドナーでもあり、特に南スーダンにおいては、12年以降、支援総額は1200万ドル以上に上ります。この支援なくして、我々の活動は成り立ちません。また、南スーダンは日本が唯一PKO活動に参画している国であり、UNMISSの陸上自衛隊派遣施設隊とUNMASとの緊密な協力関係も12年1月の派遣以降、続いています。

南スーダンには、いまだ爆発性危険物の残る危険地域が800カ所近くあります。この脅威を取り除き、人々に安全と安心を届けるために、今日もUNMASのミッションは続いています。そうしてこれらのミッションは、TICADで協議されるアフリカの包括的な開発、例えばインフラ、経済、農業といった活動を支える確固たる平和の礎となるのです。

  

【「日本、ありがとう!」 日本と南スーダン:国連平和維持活動の取り組み (日本の国連加盟60周年記念)】 >>>

www.youtube.com

 

【国連地雷対策サービス部局(UNMAS)南スーダン事務所 吉岡由美子職員に聞く】

 

 

 

UNMASホームページ >>>  http://www.unmas.org/

 

UNMAS Facebook >>>

https://www.facebook.com/UnitedNationsMineActionService

 

第6回アフリカ開発会議(TICAD VI)に向けて

国連事務局アフリカ特別顧問室(OSAA)のプログラムオフィサー田川慶さんは、8月27・28日にナイロビで開かれるアフリカ開発会議TICAD VI)を共催する国連事務局の一員として準備に追われています。田川プログラムオフィサーは、アフリカ4か国で村落開発や平和維持などの活動に従事するなどアフリカ開発のエキスパート。アフリカと日本、そして国際機関が顔を合わせる会議が実りの大きいものになるよう取り組む、田川プログラムオフィサーからの寄稿をお届けします。

 

国連事務局アフリカ特別顧問室(OSAA)田川慶さん

アフリカの平和と開発に弾みをつける会合を目指して

 

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                                      田川 慶(たがわ けい)                  (筆者右)

東京都出身。大学で開発経済学を専攻後、日本の民間銀行で3年間勤務。青年海外協力隊村落開発普及員としてニジェールへ2年間赴任。アメリカのコロンビア国際関係・公共政策大学院で国際関係学修士号を取得。2004年よりブルンジコンゴ民主共和国コートジボワールで計9年間国連平和維持活動に従事、13年より現職

  

 

TICAD開催に向けて

今年の8月27・28日にケニアの首都ナイロビで第6回アフリカ開発会議(The Sixth Tokyo International Conference on African Development, TICAD VI)が開催されます。私は会議の共催者の一つである国連事務局アフリカ特別顧問室(OSAA)のプログラムオフィサーとして、現在TICAD VIの開催準備に携わっています。OSAAは、事務局に唯一ある地域専門(アフリカ)のオフィスです。マジェド・アブデルアズィーズ国連事務次長・アフリカ担当特別顧問の下、国連をはじめ様々な政府、国際機関、NGOなどにより開催される国際会議で、アフリカの平和と安全および社会経済開発が優先議題になるようアドボカシーを行ったり政策提言をしたりしています。

 

TICAD VIに向け、2016年2月に開催国のケニア政府の招待で共催者準備会合に出席し、3月にはTICAD上級実務者会合を東アフリカのジブチで共催しました。6月16・17日には西アフリカのガンビアで閣僚級会合が開かれ、各会合での議題の選択やプログラムの構成、成果文書の作成などを日本政府主導の下、OSAA、国連開発計画(UNDP)、アフリカ連合委員会(AUC)と世界銀行(WB)が共同で進めました。TICAD VIの共催者にはそれぞれの立場、視点があり多面的ですが、アフリカの平和と開発という目標に向け一丸となって取り組んでいます。

 

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TICAD VI成功に向け、AUや日本政府と共に閣僚級会合に出席したアブデルアズィーズ国連事務次長・アフリカ担当特別顧問(左) (筆者提供)

  

TICAD VIは、23年間の歴史の中で初めてアフリカ大陸で首脳級会合が行なわれます。そのためアフリカの国々はもちろん、国際的にも関心が非常に高まっています。今年2016年は、昨年国連総会で採択された「持続可能な開発目標(SDGs)」の取り組み初年にあたる重要な年です。アフリカ連合AU)で採択された今後50年にわたるアフリカの長期開発目標「アジェンダ2063」とその「第1部10年実施計画」(Agenda 2063 and its First Ten Year Implementation Plan)、さらには日本の仙台で開催された第3回国連防災世界会議、パリで開催された気候変動枠組条約第21回締約国会議(COP21)などの大切な議題や枠組みもスタートしたばかりです。国連で働く日本人として、この重要な時期に日本の主導で国際社会の中でも重要かつ緊急性の高いアフリカの平和と開発を推進するための大規模な首脳級の会合を行うことは、大変意味のあることだと感じています。私も微力ながら会議の成功に貢献できるよう、日々努めています。

 

アフリカとの関わり

私が初めてアフリカで働いたのは、1999年に青年海外協力隊員として赴任した西アフリカのニジェールでした。協力隊員としての2年間は、電気や水道など社会基盤が全くと言って良いほど整っていない村に住み、砂漠化が進む地域で村の女性に調理時の薪の使用量が少なくて済む「改良かまど」の普及活動を行ったり、村の指導者に緑化推進の啓発活動をしたりしていました。この2年間でアフリカの農村に住む人々の生活水準やその苦労を目の当たりにし、協力隊活動後はアフリカの開発に関わる仕事がしたいと強く思うようになりました。

 

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コートジボワールのサンペドロ地方で民族融和に関する啓発活動を行った(2008年7月、筆者提供)

 

その後アメリカの国際関係の大学院で政治経済開発を学び、修了後、希望がかなって2004年に国連平和維持活動のブルンジミッションへ民政官として派遣されました。その後9年間、ブルンジコンゴ民主共和国、そしてコートジボワールにて民政官や政務官として働きました。国連平和維持活動(PKO)は主に内戦が起こった国々で、政府と反政府勢力などが停戦後に締結する平和条約の下、新たに国を再建する手助けを行います。平和維持活動勤務の間は、それぞれの国で内戦後初めての大統領選挙実施のサポートや選挙監視をしたり、内戦でばらばらになった民族間の融和を進めたりしました。また小学校や診療所の改築など、小規模の社会経済復興プロジェクトへの融資や内戦中に衰退した地方政府のキャパシティビルディングなどに奔走しました。協力隊では貧困を削減するための社会経済開発の重要さを、そして国連平和維持活動ではその社会開発の基盤となる平和と安全の大切さを痛感しました。

 

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コートジボワールの収入向上プロジェクトの受益者たち (2008年8月、筆者提供)

 

日本からの貢献も

現在勤務するOSAAでは、アフリカの社会経済開発や平和と安全の推進の重要性への世界各国の人々の認識を高め支持を増やすため、アフリカの重要議題について専門家会議を開いたり国連事務局長の名の下に出版されるアフリカの平和と開発に関する報告書の作成をしたりしています。さらにオフィスを率いるアブデルアズィーズ国連事務次長・アフリカ担当特別顧問が出席する会議の資料や発言要旨の作成なども行っています。

 

TICADは、OSAAが推進する「アフリカの平和と開発」を中心議題とする国際会議であり、その共催者としての仕事は当オフィスの数ある仕事の中でも重要な位置を占めています。また、個人的にもこれまでアフリカ各国でお世話になってきたアフリカの人々の平和で豊かな生活を実現するため、間接的にではありますが貢献できることを大変嬉しく思っています。

 

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南アフリカダーバンで開催した紛争によって生じる移民に関する上級専門家会議 (2015年11月、筆者提供)

 

TICAD VIは、2013年にTICAD Vで採択された横浜宣言および2013-17年までの横浜行動計画の引き続きの実施を確認する一方、2013年以降生じてきた新たなアフリカの課題を話し合います。例えば、資源輸出に頼るアフリカ経済の多角化と産業化、エボラ出血熱の流行と強靭な保健システムの構築、あるいは暴力的過激主義の拡大と社会の安定などを日本、アフリカ、そして関係国や関係機関の首脳級レベルで話し合い、アフリカの平和と社会経済開発を促進することを目的としています。

 

また昨年採択された国連の「持続可能な開発のための2030アジェンダ」とアフリカの地域開発の「アジェンダ2063」は、どちらもアフリカの平和と開発を推進する上で重要であり相互に補完・推進する関係にあります。日本やその他の支援パートナーが、TICADを通じどのように効率的な開発イニシアティブを支援していくかが重要です。さらにアフリカ各国への個別支援だけではなく、アフリカ連合AU)やアフリカ地域経済共同体(RECs)が推進する地域プロジェクトへの支援強化も必要です。TICADは以前から市民社会の声を積極的に取り入れており、さらに最近注目を集める官民共同プロジェクトや民間セクター主導の開発も重要な議題となります。特に日本の民間企業はその高い技術レベル、職業観と倫理を持ち合わせており、アフリカ経済開発に貢献する役割も期待されています。

 

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前回TICAD Vでの集合写真。会議発足から20周年だった(2013年) UN Photo/Rick Bajornas

 

私は2013年にOSAAに赴任したばかりだったので、前回のTICAD Vのプロセスにはほとんど貢献することが出来ませんでした。一方で、TICAD V終了後のフォローアップの会議とTICAD VIの準備には携わってきています。TICAD関連の仕事では、14年にカメルーンでの閣僚級会合に事務次長の補佐として出張した時のことが強く印象に残っています。それまでアフリカ現地での勤務が長かったので、ニューヨークの国連本部の仕事に慣れるまでに時間がかかっていました。TICAD閣僚級会合を共催するアブデルアズィーズ事務次長をサポートするため、初めて事務次長と2人きりで仕事をした時は、そのプレッシャーや自分の未熟さを痛感したことを思い出します。幸い機関を超えた多くの共催者の先輩方のサポートで会議は成功裏に終わりましたが、TICAD関連の出張の時はいつもこの時の経験を思い出します。この先もTICADの仕事を含め、アフリカの平和と開発の推進に色々な立場で貢献していきたいと願っています。

 

*この文章は筆者の私見であり、国連事務局やアフリカ特別顧問室の意見を反映したものではありません

 

シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (5)

 

シリーズ第5回は、国連訓練調査研究所(UNITAR)広島事務所の隈元美穂子所長です。南スーダンでは女性の地位が著しく低く、社会参加の機会の不均衡は、国の持続可能な開発を阻んでいます。UN Womenによると、女性の非識字率は男性の2倍も高く、女性はジェンダーと性差に基づく暴力の被害者でもあります。UNITAR広島事務所は 、南スーダンの専門家たちにプロジェクトマネージメントとリーダーシップの研修を提供することで、外部からの支援に頼ることなく南スーダンの人々自身で問題を解決できるようになる支援をしています。そして隈元所長は、南スーダンに真の平和が訪れ復興を果たすには、女性の活躍は不可欠であると述べています。

 

5国連訓練調査研究所UNITAR)広島事務所  隈元美穂子所長

南スーダンの女性の可能性と平和構築~

    

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                                              隈元 美穂子(くまもと みほこ)

                                                 国連訓練調査研究所(UNITAR) 広島事務所長

福岡県立筑紫丘高校卒業。米国ウエストバージニア大学心理学部卒業。九州電力企画部国際関係担当として海外研修を企画。退社後、米国コロンビア大修士課程で開発経済を学ぶ。2001年から3年間、国連開発計画(UNDP)ベトナム事務所でジュニアプロフェッショナルオフィサーとして勤務。ニューヨーク本部に異動、アフリカ適応プログラムなど能力開発プログラムに取り組む。2011年には4か月間、UNDPサモア太平洋事務所で紛争、復興、環境、気候変動担当の事務所代表代理。2012年UNDPインドネシア事務所でシニアアドバイザー。2014年より現職

 

 

6アフリカ開発会議とユニタール

 

今年8月末にケニアの首都ナイロビで開かれる第6回アフリカ開発会議サミット会議(TICAD VI)。その準備会合のシニアオフィサー会議 (SOM) が2016年3月にジブチで、そして閣僚級会議が2016年6月にガンビアで開催され、国連訓練調査研究所(UNITAR/ユニタール)代表として出席してきました。多くのアフリカ各国政府、国際機関、2か国機関、市民団体などの代表が集まりました。議論の焦点は、サミット会議で発表予定の「ナイロビ宣言」の骨格でした。アフリカが抱える様々な問題を討議し、中でも経済、保健、社会の安定について深く話し合われました。若者と女性の社会参加の機会が限られており、持続可能な開発に彼らの貢献が必須である点に注目が集まりました。

 

私が勤務するユニタールは能力開発・研修を専門とした機関で本部はスイス・ジュネーブにあり、それ以外はニューヨークと広島に事務所を置いています。広島事務所は「平和拠点」としての土地柄を活かし、主に平和構築や軍縮の研修を行っています。研修の対象となる国は、アフリカ、アジア、中東など各地にまたがっており、その中でもアフガニスタンイラク南スーダン、サヘル諸国といった平和構築が大きな課題となっている国を多く含んでいます。ここでは、ユニタール広島事務所が実施している日本政府支援による南スーダン奨学プログラムと、社会的に弱い立場にある南スーダンの女性たちについて紹介します。

 

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                                         首都ジュバを着陸直前に上空から見た様子 (筆者提供)

 

南スーダンジェンダー問題

南スーダンは2011年にスーダンから独立しました。大きな希望と期待がかかっていましたが、2013年12月に首都ジュバの大統領警護隊内部で衝突が勃発し、部族間の争いへ様相を変え内戦状態に陥りました。難民は220万人に上り(2015年8月)、保健、教育、所得の3つの側面から人間開発の達成度を示す人間開発指数(2015年、国連開発計画)では、188か国中169位に位置するなど、開発も遅れています。しかし、2015年の8月に最終和平合意が締結されたことで、一筋の希望の光が差し込みました。 合意の履行の重要なステップの一つが反政府軍のリーダーであるマチャー氏の第一副大統領としての擁立ですが、これも2016年4月に完了。引き続きの合意の履行が今後の安定と復興の成功の鍵と言えるでしょう。

 

南スーダンは男性中心社会です。社会における女性の活躍の場はまだまだ制限されています。大きな障壁となっているのが、「女性は家にいるもの」という古くからの考え方です。そこから様々な問題が派生しており、例えば女子は教育へのアクセスが制限されています。人口の半分以上が貧困層という南スーダンで、子どもたちは学校に通う事もままならないのですが、通えたとしても男子が優先されるケースが多くみられます。南スーダンでは全国民の識字率は2割程度と非常に低く、特に女性の低さは深刻と言われています。それ以外でも女性は、児童婚、性暴力の対象となることがあるほか、政治などあらゆる意思決定プロセスへの参加が限られるなど、問題が山積みです。女性は社会の中で虐げられた状況にあり、社会での活躍の場は限られています。

 

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 ジュバの文民保護区で、UNWomen(ジェンダー平等と女性のエンパワーメントのための国連機関)が提供するコンピュータトレーニングを受ける国内避難民の女性(2016年4月)  UN Photo/JC McIlwaine

 

 

2015年9月に発表された「女性、平和と安全に関する事務総長報告書」も指摘するように、女性の教育、政治、社会活動を支援し活躍の場を広げることは、国の安定に大きく貢献し、平等な社会を作る上でとても重要です。 南スーダンの現状は、人口の半分を占める女性の可能性の芽を摘んでいるだけでなく、多様かつダイナミックな社会の形成を妨げていると言えます。

 

南スーダン奨学プログラム

当事務所が実施する「南スーダン奨学プログラム」は2015年に始まり、今年で2年目を迎えます。研修では、教育、外交、司法、ジェンダー、保健、農業など様々な分野で活躍する南スーダンの専門家を迎え、彼らがプロジェクト管理の方法やリーダーシップを身に付け、市民のニーズに沿った効果の高いサービスが提供できるようになることを目指しています。彼らの能力を強化することで、南スーダンの人々が自らの力で国を造りあげる自立プロセスを支援しています。2015年のプログラムでは、20人の研修生に半年にわたり3回のワークショップとコーチングを行いました。そのうち8人は女性でした。

 

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ユニタール広島事務所がジュバで行ったプロジェクトマネージメントとリーダーシップの研修 (筆者提供)

 

この8人は­­­­、司法、外交、保健、性暴力、教育などの分野で活躍しています。 例えば、女性弁護士は研修で、刑務所に収容された女性やその子供たちをテーマに取り上げました。不当な理由で収容されたケースや、刑務所で起きた人権侵害に関して、研修で習得したデータ収集や分析の手法を使い、問題改善へのアプローチを提案しました。このように、司法の専門家であると同時に女性の視点を取り入れた提言は、社会的弱者である女性の支援に有効です。

 

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研修に参加した女性専門家たちと筆者(右から2番目)。弁護士、外交官のほか女性問題、保健衛生、メディアなど幅広いバックグラウンドを持つ専門家が参加した (筆者提供)

 

これからの南スーダン

長年にわたり貧困、経済的格差、紛争など厳しい状況が続いている南スーダン。私が出会った人々のほとんどが親族や友人が亡くなるなど被害を受けており、「もう紛争はたくさんだ、平和を心から望んでいる」と言います。当事務所の研修は、広島視察を含んでいます。広島平和記念資料館を訪れた研修生は、71年前の焼け野原となった広島の姿を食い入るように見つめます。そして、今の広島の姿を見て「広島の復興の軌跡を見ることができとても良かった。南スーダンの平和と復興に向け、強い勇気と希望をもらった」と話すのです。

 

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広島を視察した研修参加者。原爆ドーム平和記念公園を訪れ、被爆者と対談したり広島の復興を学んだりした       @UNITAR
 

多民族で構成される南スーダン。彼らが自国の再建と発展のために同じ方向に向かって力を合わせて進んでいくことが重要です。そのプロセスに、女性はかけがえのない存在です。

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広島平和記念資料館で被爆被害の説明を丁寧に読む研修生      @UNITAR
 

TICAD VIは、アフリカ各国政府、国際機関、2か国間機関、市民団体、民間企業からトップレベルが集結し、討議を行う重要な節目となります。アフリカの人々によるアフリカならではの開発の実現、そして女性たちがあらゆる分野で生き生きと活躍する社会が作り出されることを強く期待します。その実現に向け、当事務所も南スーダンを含むアフリカ諸国への支援に引き続き努力をしていきます。

 

 

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文民保護区で避難生活を送る女性たち    ©UNMISS Patrick Orchard

 

ユニタール広島事務所ウェブサイト

http://www.unitar.org/hiroshima/ja

 

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2016 Spring Interns

今年3月末から国連広報センターで働いた5人のインターンが6月末に卒業しました。

UNICでの体験を振り返った5つのストーリーをお読みください。

 

 【宮内栄 / Ei Miyauchi】

 こんにちは!2016年春インターンの宮内栄です。現在国際基督教大学4年で、卒論執筆の真っ最中です。

 私が国連広報センター(UNIC)のインターンに応募したのは、将来働きたい国連という場所の実際の姿を知りたかったから、というのが一番大きな理由です。私は今後開発学を専門にしたいので、国際政治や国際関係学、国際法を専門にして広報官として国連に入ることを考えているわけではありません。しかし、どんな分野を専門にするにせよ国連で働くのなら、国連という組織自体についての理解は必要だろうと思います。結果的にUNICは、国連の活動や内部の日常の動き方について知る上で、とてもよい場所でした。

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        上智大学でのSDGsフォトコンテストのプロモーションの様子(白いボードを持っているのが筆者)

 

まず、UNICのオフィスも入っている国連大学本部ビルを訪問する中高生に実施する、「国連訪問」というプログラムを担当することで、必然的に国連の活動一般を説明できるようになります。あるいは日々国連関係文書の翻訳をする中で、「この文書はどういう文脈で、何の目的で作成されたものなのか」と考えます。背景知識がなければ正しい翻訳はできないので必然的にリサーチをすることになり、知識が雪だるま式に増えていくのです。

 その他にも大型イベントの一連のロジスティクス(ロジ)をオフィスの中で体感すると、国連という組織の官僚的な動き方を実感できます。私のインターン期間中には潘基文(パン・ギムン)事務総長の訪日・G7伊勢志摩サミットアウトリーチ会合への出席に関わる大型ロジがありました。インターンオリエンテーションでUNICが「国連の在日本大使館」と形容されているのを耳にしましたが、まさにそういった印象をこのロジを通じて持つようになりました。こういった話は通常"confidential"とされ、外部に公開されることはありません。内部から実際を見たり、また部分的に関わる機会に恵まれたことはとても幸運でした。                

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 スウェーデン大使館主催のセミナー「第2代国連事務総長ダグ・ハマーショルド国連」にて。(June撮影)

 また、おそらくみなさんが思っている以上に、UNICでの仕事は「広報」のよい経験となります。特に私は「国際関係学専攻で将来国連で働きたいと思っている」といういわば「ステレオタイプ」であったため、広報関係の仕事のインパクトは予想以上で、とても新鮮でした。

例えば、日常的に様々な国連関係文書の翻訳、要約、記者会見への出席(カメラもインターンが担当します!)、記事作成などの業務があります。文章を書くことについてはそれなりに慣れていると思っていた自分でしたが、反省しきりでした。要点をもらさずシンプルで読みやすい文章を作るということは、案外手間がかかるものなのです。加えて校正作業も広報では必須ですが、仕事の丁寧さについて自分の甘さを感じる局面が多々ありました。UNICのオフィスは10人にも満たない職員とインターン数名によって、まわっています。それは、職員一人ひとりが自分の責任分野の仕事を高い精密度をもって日々こなしているからこそ成立するサイクルです。「プロじゃないからわからない」と言う暇があるなら、「自分で学んでプロになれ」。そんな意識を持つようになったインターン生活でもありました。 f:id:UNIC_Tokyo:20160614115256j:plain

     オフィスの日常。インターンの机が集まる「インターン島」は笑いが絶えない (Christina撮影)

 そして最後に、個性豊かな「現実主義的理想主義者たち」との出会いこそ、UNICインターンを通して得た最大の宝です。国連が掲げるのは、人類共通の普遍的な理想。しかしその実現には多様な利害関心が絡み、様々な障害が立ち塞がっています。このインターンで出会った全ての方々は、冷静にその現実的難しさを認識した上で、それでも理想を夢見ることを止めない人たちでした。もちろん私が覗いたのは巨大なUNファミリーのたった一部にすぎません。それでも「現実主義的理想主義」こそ、国連という場所に通底するプリンシプルなのだと確信しました。そんな人たちが集まる場所が国連なら、それは確かに目指す価値のある場所だと、インターンを終える今、私は自信を持ってそう言えます。

 この3ヶ月は日々学びであったことはもちろん、自分の中の国連についてのモヤモヤと向き合い、自分なりに整理をする時間でした。大学4年で就活に勤しむ同期を余所目に、フルタイムでインターンをやるということに不安がなかった訳ではありません。ただ結局は、自分の直感に従ったほうがよい結果になるのだと私自身は思います。3年の秋、思い切ってインターンに応募したあの時の判断は、私にとっての「正解」でした。

私にこの貴重な機会を与えて下さり、インターン期間中厳しくご指導下さり、そしてまた優しい気遣いもして下さったUNIC職員の皆様。

常に明るい笑い声の絶えない「インターン島」でチームワークを共にした、尊敬すべき個性豊かな4人のインターンメイト。

 UNICインターンを通じて関わった全ての皆様に、今、心から感謝しています。

 そして願わくば、この文章が未来のUNICインターンの方々の背中を、少しでも押すことが出来ますように。

 

【王盈文(オウ エイブン)/ June Wang】

 こんにちは!2016年4月から3ヶ月間、UNICでインターンとして働いた台湾人のJuneです。 日本留学中で、今は東京大学法学政治学研究科修士2年生です。

台湾の大学では法学部に所属し、法律全般について勉強しました。4年生の国際法の授業で初めて国連の決議や国連の枠の下で作られた条約などに触れる機会がありました。それをきっかけに、国連に興味をもつようになり、「将来国連で働きたい」という考えも自分の中で萌芽しました。この夢に少しでも近づくために、まず自分の専門知識を磨かなくてはならないと思い、国際法を専攻として日本の大学院に進学することを決めました。       

          f:id:UNIC_Tokyo:20160624162941j:plain

                                       UNICの入り口で写真を撮ってもらいました(Ei撮影)

 台湾は国連の加盟国ではないため、日本のようにいろいろな国連諸機関の事務所があるわけではありません。せっかく日本に留学しているので、ぜひこの地の利を無駄にせず、インターンを通じて「国連で働く」というイメージをより具体化させたいと思いました。そこで、私は国連の活動に全面的に関わっているUNICのインターンに応募させていただきました。

 UNICでの日々は、私にとって「冒険」であり、大変有益な時間になりました。

業務の内容は多岐にわたりますが、まず何よりも、国連の活動や優先課題をさまざまなイベントのサポートと参加を通じて、身近に感じることができました。2016年は国連の持続可能な開発目標(SDGs)実施元年なので、私のインターン期間中、SDGsの広報活動はUNICの活動の中心でした。その他、日本国連加盟60周年記念事業、気候変動に関するパリ協定の宣伝、G7のアウトリーチ合会に参加するための国連事務総長来日訪問、中高生の国連訪問といったイベントの企画・実施に携りました。 f:id:UNIC_Tokyo:20160531121250j:plain

                          UNICオフィスの様子(左上Kento、左下Christina、右Machiko、筆者撮影)

 また、国連とは直接に関係しませんが、ハードウェア・ソフトウェアのスキルもインターンの仕事を通じて向上しました。例えば、UNICは「広報センター」であるため、写真や動画の撮影の機会は多くありました。しかし良い作品を撮るのは想像以上に難しいことでした。毎回の撮影の仕事で職員にアドバイスをいただきながら、どのようにインパクトのある写真を撮れるのかが徐々にわかりました。また、去年UNIC主催のイベントで実施した721件のアンケート結果を統計処理するために、エクセルの「ピボットテーブル」という機能を自分で調べ、初めて使用しました。 

 f:id:UNIC_Tokyo:20160413143651j:plain

                                          4月13日の国連訪問を担当したEiです(筆者撮影)

 インターンの同期4人からもいろいろ学びました。皆それぞれ違う国籍、バックグラウンドをもっており、関心分野も異なっています。だからこそ一緒に仕事をしている間に、それぞれの人生経験、希望、悩みを話し合い、私にとってとても刺激になる話をたくさん聞けて、心の栄養になりました。また、各自のタスクで忙しい中でも、いつも私の日本語と英語のネイティヴチェックをしてくれて、本当に感謝します。

UNICのスタッフたち、同期のインターン4人、この3カ月間、誠にありがとうございました。

これからもUNICで得た経験を生かして、努力していきたいと思います!

  哈囉!我是王盈文,台灣人,25歲。22歲以前都在台灣土生土長,23歲時來日本念研究所。因為對聯合國有興趣,希望未來能到聯合國工作,便利用在日留學的期間申請了United Nations Information Centre東京辦公室的實習生,很幸運地能被錄取。在這裡的三個月,我除了更認識聯合國,也遇到了很好的實習生夥伴,並和他們成為了一生的朋友。

台灣雖非聯合國加盟國,但並不代表台灣人不能在聯合國相關機構實習,擴展自己的人生經驗與國際意識(至於如何才能成為聯合國的正式職員,我也還在摸索),如果你是台灣人且對聯合國有興趣,不妨考慮申請實習生,我相信一定會成為你人生中無可取代的一堂課!

 

【大谷 眞智子 / Machiko Otani】 f:id:UNIC_Tokyo:20160629151453j:plain

                    左から二番目が筆者

 4月より3ヶ月間インターンとして働かせていただきました、大谷眞智子です。

 私は医学部を卒業後、4年間臨床医として働きました。将来は国連をはじめとする国際機関で医学・公衆衛生の専門家として主に感染症対策に携わりたいと考えており、秋からイギリスの公衆衛生大学院に進学する間の期間を使って、インターンとしてお世話になりました。

将来国際機関で働くことを目指すのであれば、実際にその中で働くことによって将来のビジョンがより明確になるのではないか、という理由と、これまで職業柄、自分の専門分野のことしか触れてこなかったのですが、世界で起きている様々な問題は一方向からのアプローチのみでは解決できないということを、医師として働いた経験からも強く感じたので医療・保健とは関係のない新たな経験を積みたいと思っていたという理由から、国連広報センターのインターンに応募しました。

 想像していたとおり、医師としての社会経験しかない私にとって、国連のオフィスでの仕事はとても新鮮で学ぶことが多く、社会人としての自分を今一度見つめなおすきっかけになりました。そして、いままでは単にイメージしかなかった国連の中で実際に働くことによって新たな視点から国連を捉えることができました。

 一緒にインターンを行った仲間たちは皆それぞれにビジョンがあり、それぞれの目標や葛藤、将来について話すことも多く、とても刺激になりました。どのようにしたら世界全体がより良い方向に向かえるのか、自分ができること・すべきことは何なのか?

そういった問いに真剣に向き合っている人たちとの出会いはとても貴重で、分野やアプローチを越えて同じ目標を共有できる機会はなかなか得られないものではないかと思います。このような出会いは特定の専門分野に特化した機関でなくUNICのような国連全般にかかわる機関でインターンをする醍醐味でもあると思いました。

UNICのインターンに、「こうであるべき」だとか、「こうでなければいけない」といった概念はありません。むしろ、私が医師であるけれども受け入れてもらったように、どんな経歴の人にもチャンスはありますし、多様性や個性が尊重される場所です。それなので、もし迷われている方がいたら飛び込んでみることをお勧めします。きっと他では味わえない経験と、一生の仲間が見つかるはずです!

 私自身、今回得た貴重な経験を、これからの大学院生活、そしてその先の未来に活かし、一人の人間として国際社会に貢献できるようこれからも邁進していきます。

お世話になったUNIC職員の皆さん、同期のインターンの4人、本当にありがとうございました!

 

藍原健豊 / Kento Aihara】

    f:id:UNIC_Tokyo:20160519113535j:plain

 日本人インターンの藍原です。私は今年の3月に栃木県小山市にある白鴎大学を卒業し、夏からタイの大学院に進学する予定です。その間の期間を利用し、国連広報センター(UNIC)にてインターンシップを行いました。私は幼少期から日本の外の世界に興味があり、漠然と世界に関わる仕事がしたいと考えていましたが、国連もその夢の一つでした。私は学部生のときに経営学、特に観光産業にフォーカスして学びましたが、その自分が得意とする分野が国連でどのように貢献できるかを知る上でも実際に国連インターンをするのは大変有益だと考えていました。そして今回“百聞は一見に如かず“をモットーに、ここUNICに携わることで国連の現場を肌で感じることができました。UNIC 国連のあらゆる部署の活動や情報を管理、発信する組織ですので、インターンを通して国連の仕組みを包括的に理解を深めることができたと思います。

私がインターンをした時期はまさに、2015年に国連総会で採択された持続可能な開発目標(SDGs)を推進していく活動の最中でした。UNICも日本社会にSDGsを知ってもらうために様々な広報活動を行っていますが、私が微力ながらそのお手伝いをできたことを嬉しく思います。SDGs2030年までの持続可能な開発目標であり、プロジェクトはまだ始まったばかりです。大々的なことではなく、我々一個人が日常生活で今すぐにできることが沢山あります。世界はもちろんのこと、身近な生活自体ももっと良くなるはずです。15年後、世界はどう変わっているのでしょうか。私のインターンは終わりますが、これからもSDGs推進活動に協力できればと思います。

地元の栃木県から毎日電車でUNICへ通勤するハードな生活でしたが、この経験が大学院進学、ひいては自分の将来において必ず役に立つものだと確信しています。職員の皆さんにも沢山お世話になり、感謝の気持ちでいっぱいです。最後に、同期のインターンのメンバーに恵まれたと感じています。5人全員がバラバラのバックグラウンド、専門分野だったので一緒に仕事をする毎日が非常に新鮮でした。和気あいあいと楽しい3ヶ月間をありがとう!

 Hi, my name is Kento. I worked for the United Nations Information Centre in Tokyo as an intern for the last couple of months. I have been interested in overseas and international organizations such as the UN since I was little (I lived in Japan for over 20 years). I just graduated from university majoring in business, especially focusing on travel industry management, and used to wonder how I could contribute to the UN with my field of study. Therefore I decided to apply for this internship and fortunately got accepted. As a result, this experience at UNIC turned out to be fruitful for me as I had countless opportunities to learn how the UN works, which is composed of various departments. Likewise, I am glad that I was able to participate in promoting the project of SDGs (Sustainable Development Goals), which were officially adopted in 2015. This project lasts until 2030, and I truly hope that our world becomes better and better, contributing to some goals of SDGs.

Through the internship, not only have I learned about the roles of the UN, but I was also able to interact with many people who have distinctly different backgrounds including career, which without doubt would lead me to the next step in my life. To the prospective interns, if you are interested in this internship, DO NOT HESITATE, JUST ASK THE OFFICE! I hope you guys will seize the chance and have a great experience here at, UNIC! f:id:UNIC_Tokyo:20160629151347j:plain  誕生日が同じ根本かおる国連広報センター所長と一緒に。似顔絵はChristinaが描いてくれました(617)

  

【Christina Mihoko Deakin】 f:id:UNIC_Tokyo:20160614115201j:plain

 Ei will be graduating from ICU (International Christian University), June is finishing up her master’s thesis in law at University of Tokyo, Kento is preparing to complete a masters course in Thailand, and Machiko is a HIV/AIDS specialised doctor. Machiko and I will both return to our studies in the UK this September. All five of us were UNIC interns, however, we were all in such different stages of our lives.

I joined the UNIC internship programme for three months after experiencing internships around other offices in the United Nations University, however, I found this internship to be unique. I became increasingly aware that it was difficult to disconnect from the office after hours. From morning to night, my phone would buzz with little updates  and messages of encouragement from the other interns, from important messages relating to train delays and sick leaves to funny photos and uplifting remarks. We have a growing chat history that reflects teamwork.

Despite joining the internship programme for different reasons, we were working and communicating together to compete tasks and projects. I think teamwork was one of the most valuable lessons I learned in the UNIC Tokyo office. My world also expanded. I recall many significant moments, such as listening to the director practice her speech in the back of a taxi, going to press events, and being involved with the Secretary-General’s visit to Japan.

However, I also treasure the quiet moments when friends and staff exchanged their experience and stories with one another, or when the office supported me in picking up my first phone call in Japanese. In full retrospect, my internship experience with UNIC Tokyo was extremely positive, and I am very lucky and glad to have been apart of this office.

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                  ~ Fin.~

 

連載「日本人元職員が語る国連の舞台裏」 ~日本の国連加盟60周年特別企画~ (4)

 

連載「日本人元職員が語る国連の舞台裏」第4弾は、茶木久実子(ちゃき くみこ)さんのお話をお届けします。好きな学問を追求した結果、国連の職員となり、人事の仕事でフィールドに出向いて、国連の仕事でのやりがいを強く感じたそうです。ベテランの人事担当者として「様々な経験をし、自信をつけて、日本を客観的に見ることができる視点を身に付けてください」と日本の若者に向けてエールを送ります。

 

 

 第4回 国連事務局Umojaプロジェクト人事管理部門チームリーダー:茶木久実子さん

 

         f:id:UNIC_Tokyo:20160617110852p:plain

【1979年国際基督教大学卒。同大学で国際法の修士号、アメリカン大学で法学修士号、そして国際基督教大学に戻り国際法の博士号を取得。1988-96年ニューヨークの国連本部人事部に勤務。1997年から2年間ジャマイカの国際海底機構に勤める。その後国連本部人事部に戻り、2006年から人事部(給与トラベル業務を含む)を代表して“Umoja”(国連の新しい統合業務システム)の開発に尽力】

 

 

誰かのために働くことの喜び

 ―これまでの仕事の中で、今だから話せるエピソードはありますか?

 今だから話せるということではありませんが、あまり人に話さなかったエピソードをお話ししたいと思います。2003年8月、バグダッド国連オフィスに爆発物を積んだトラックが突入しました。その中には重傷を負ってアメリカ軍の病院に搬送された7人の職員がいました。私は当時平和維持活動の人事を担当しており、その7人を支援するニューヨーク本部のフォーカルポイントになりました。負傷者の中の一人はソマリア人の現地職員でしたが、その後、後遺症のために国連で働き続けることができなくなり傷病年金を得て退職を余儀なくされました。通常は職務遂行中の事故によって退職した職員は母国なり所属オフィスが面倒をみるものですが、当時彼の母国は無政府状態で保護を期待することはできませんでした。そこで、私は、私が国連にいる限り、彼の支援を続ける決心をしました。彼の支援には年金の受け取りの手助け、後遺症の治療のため国外渡航、費用の請求などがありました。更に、年金の継続受け取りのために、生存証明として郵便で毎年年金本部に書類を提出する義務があります。しかし、政府もなく郵便制度も存在しないソマリアで「書類を郵送する」というのは不可能です。そこで、私はソマリアにあるUNHCRの事務所と連絡を取り、国連の外交行嚢を利用して彼が書類を提出できるように計らいました。

 

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2003年8月バグダッド国連本部オフィスへの自爆テロで、セルジオ・デメロ事務総長イラク特別代表ら22人が亡くなった    UN Photo

 

また、後遺症治療の渡航のためには、適切な医療機関でのアポイントメントを取りつけ、ヴィザ、航空券、ホテルなどを手配する必要がありました。これを実現するためには国連本部内外の職員の協力を得る必要がありましたが、大抵の職員は、彼の置かれている状況を理解し、とても協力的でした。こういう支援は多くの人にとって通常の任務を超えたものですが、イラクでの職務遂行のために負傷し職を失わなければならなかった一人の職員を支援し続けることは国連職員として当然の義務であるという強い思いが皆にありました。国連のような大きい組織の中では自分の貢献などほんの小さなものですが、この職員の退職後の人生には私たちの支援が何がしかの役に立ったことは、この上もない喜びでした。

 

  国連の仕事の面白さは、フィールドにあり

 国連の仕事の中で、最も印象に残った出来事は何でしたか?

 それは1994年に南アフリカ最初の総選挙の選挙監視委員をしたことです。私の任務は北部のノーザントランスバール Northern Transvaalで八つの投票所をまわり選挙が公正に行われるように監視することでした。八つの投票所の中には小さな集落の学校を投票所として使っているところもありましたが、そういう小学校の教室の一面には壁がありません。そこからは、中庭にある井戸に集まる集落の人々だけでなく、にわとりや子豚も水を飲みにきているところが丸見えでした。これらの投票所は首都のプレトリアから遠く投票箱が届いていない所もありました。そのような投票所では段ボールを貼り合わせて作った手作りの箱を投票箱として使っていました。しかしながら、住民の選挙への関心は極めて高く、舗装もされていない道路をお嫁さんが年老いた義母を大八車に乗せて運んできたり、遠路はるばる歩いて投票所にたどり着いた人々が炎天下の中、列をなして辛抱強く投票の開始を待っていました。

 

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1994年南アフリカで初めて全人種参加で行われた選挙の様子。選挙監視の活動を通じ、一票を投じられる有権者の喜びを感じた。選挙の結果、ネルソン・マンデラ氏が初の黒人大統領に選ばれた   UN Photo/Chris Sattlberger

  

その中のおばあさんに聞くと、「私の寿命は長くはないけれど、自分のためにではなく子どもや孫のために選挙に来たんだ」といいます。私たち監視員はその思いに涙したことを覚えています。

識字率が低いので投票用紙には政党の名前とロゴの他に党首の名前と写真も印刷されていました。しかし、目の不自由な人も多く、その場合は投票所長が口頭で「誰に投票したいんですか」と尋ね、私たち選挙監視員の目の前で投票したい政党に丸をつけます。ある投票所でおばあさんと投票所長が押し問答しています。私たちが近寄っていくと、おばあさんは、「誰に投票するかは言う必要はない、言わなくてもあなたは私が誰に投票したいか知っているはずだ」、と断固として譲りません。その地域はネルソン・マンデラが党首のアフリカ民族会議(ANC)を支持する地域だったので、ほとんどの住民がANCに投票すると見られていました。投票所長が辛抱強く説得すると、おばあさんはようやく、「1回だけ言うからね」と言い「マンデラ」とささやきました。ところが、全国議会と州議会選挙の投票箱は別だったので、州議会の投票所でさらにもう1度誰に投票するかを言ってもらわなければなりません。 おばあさんは声を荒げて「今言ったばかりなのになぜもう一回聞くのか」と怒り、同じ押し問答が繰り返されましたが、周りからはクスクスと笑う声が聞こえました。

 

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ニューヨークの国連本部で、ブトロス・ブトロス=ガーリ事務総長から、アパルトヘイト国連の歴史に関する本を贈られた黒人初の大統領ネルソン・マンデラ氏   UN Photo/James Bu

 

この選挙では、アパルトヘイト下で選挙権のなかった人々が初めて政治に参加できる喜びとこの国の将来に多くの期待を持って選挙に臨んでいることをひしひしと感じました。私は、国連がこの歴史的な出来事を可能にしたことを誇りに思い、私自身が大きな歴史的出来事に居合わせたことをとても幸運に思いました。この時は、国連の仕事の面白さはフィールドにある、とつくづく感じた瞬間で、その後、ジャマイカの国際海底機構に出向したり、好んで平和維持活動に関わったのは、ここでの経験が基となりました。

  

―人事の仕事では、具体的どのようなことをしたのですか?

 小学校6年か中学1年の時に国連の存在を知りなんとなく国連で働きたいと思ってから20年後の1988年に競争試験[i]に合格し法務官として国連本部人事部で人事規則の解釈、改訂、人事政策の案文を作成するセクションに赴任しました。そこで与えられた業務は私の博士論文のテーマから遠くない仕事で大変興味深く、上司もゆっくり丁寧に指導してくれたので、入ってすぐは学びながらお給料をもらえる幸せで楽しい日々を送りました。4年ほどたったある日、私のやっている業務は机上の仕事で、人事の現場を知らないことにはたと気が付き、人事規則・政策が現場ではどう適用されているのか、つまり、規則より“人”を見てみたいと思うようになりました。こうした動機から人事管理の部署に異動し、職員の契約、給与、昇進、異動などを扱う仕事を始め、その後15年ほどは様々な人事行政に携わりました。

 

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1991年(国連に入って3年目)、ニューヨークのオフィスで

 

人事官になってしばらくして、国連では行政業務に初めてコンピューターを導入することになりました。私は人事機能のテストに参加しましたが、人事業務のニーズを満たすにはほど遠く、こちらの希望を言うと「お金がないからそれはできない」あるいは「時間がない」と言われ、結局私たち現場の希望はほとんど聞き遂げられませんでした。この時、コンピューターのシステムを変更する次の機会には、最初から関わろうと思いました。

  

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1997年、就任直後に国連の各部署をあいさつにまわる当時のアナン事務総長。アナン事務総長は人事部に長く務め、私を含め人事スタッフは彼の就任をとても誇りに思いました。私が国連に赴任した1988年の7月当時、アナン氏は人事部長でした

  

2006年の終わりにその機会が訪れました。国連はそれまで使っていた自前のシステムから既成のシステムを導入するプロジェクトを立ち上げることにしたのです。そこで私はこの大きなプロジェクトに、人事部の代表として最初から参加することにしました。これが“Umoja(ウモジャ スワヒリ語で統一という意味)”という国連の統合業務システムの開発プロジェクトです。このプロジェクトはただのシステムの交換ではなく、基本的な業務のやり方を変えることを目指しました。それまで、人事データは人事局の職員が維持管理していましたが、新しいシステムでは、根本的な思想の転換を目指して、職員自身が自分の人事データの維持管理するという“セルフサーヴィス”をできうる限り導入する方針が立てられました。私ども人事チームはこの方針を受けスタッフ自身が自らの人事データを維持することを前提に“Umoja”をデザインしました。国連創設当初から続いてきたこれまでの考え方をシステムの導入とともに一新するという非常に大胆な改革です。

 

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2006年にジュバにあった国連スーダン・ミッションに出張したとき宿=テントの前で

 

この“Umoja”は数々の困難を乗り越え2014年から徐々に国連内で導入されています。システムはいまだ導入初期に特有の問題を抱えており、さらに、ユーザーの適応やトレーニングの問題はありますが、おおむね良好に機能しています。これは、私の国連の最後の大きな仕事でしたが、国連行政の根本的変革を担ってチームとともにumoja 導入にこぎつけたことをとても誇りに思っています。

 

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2014年、新しい統合業務システム(Umoja) の人事モジュールが2014年ハイチ平和協力隊で初めてパイロット導入された。国連警察官たちと

 

ルートから外れてもいい、様々な経験をして

国連職員を目指すにあたって、必要な素質は何だと思いますか?

 第一にある程度の英語力が必要です。これは文法が完璧であるとか、ネイティブのように英語をしゃべるということではなく、自分の意見を論理立てて口頭であるいは書面で述べることができる英語力という意味です。

 

第二に、国連では自分の意見を持ちそれを表明できなくてはいけません。日本では人と違う考えを述べたり人と違うことをしたりする事を躊躇する風潮があるように思いますが、国連では自分の意見が言えないと仕事に貢献していないと思われます。ただ、自分の意見を述べる時には不必要に攻撃的になる必要はなく、状況に応じて、言葉を選んで、空気を読んで、その場所にふさわしい表現方法で効果的に意見を述べることが求められます。

 

第三に同僚、上司、部下と信頼関係を築くことが大切です。仕事を遂行するためには、目標によって、いろいろなやり方で自分の目指す方向に物事を進めていきますが、そのためには、他の人との信頼関係や影響力を常日頃から培っておかなければなりません。私の場合、umojaの仕事では、同じころに国連に入り一緒に育ってきた同僚たちがそれぞれの場所で責任ある立場になっていて、彼らの協力を得て問題を克服したり目標を達成することができました。

 

信頼関係を築くためには、同僚の悪口を言わないこと、そのためには自分に自信があることが必要です。自分に自信があれば、価値観が揺るがないので、自分を見失わず行動に一貫性ができ、周りの人から信頼されるようになります。自分に自信のない人は、価値観が揺らぎ行動が不安定になりがちで人の悪口を言い周りの人と軋轢を生むことになるのです。

 

自信をつけるためにはどうすればいいかというと、様々な経験をし多くの失敗を積み重ねることで、困難にあったときにそれを乗り越える力を養うことです。私の場合には、英語も満足にできないときにアメリカに留学し、人に助けられながら何とか単位を取って卒業し、また、異なる価値観、文化、習慣にふれたことは、かけがえのない経験になりました。日本の若い人の多くは、高校を卒業してすぐに大学に入りその後すぐに就職しますが、これから外れてみてもよいと思います。海外留学でなくても、普段の生活とは離れてボランティアをすることもよいでしょう。自分と異なる価値観に触れたり、他の人と暮らしたり、勉強したりするのはとても大切な経験になります。

 

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2015年11月に退官する職員の1人として、表彰式に臨む。事務総長が出張中だったので、マルコーラ官房長(左)と高須管理局長(右)から感謝状を受け取りました

 

 ―日本の若者、特に国連職員を目指す若者に対して何を期待しますか?

 日本の若い皆さんには、外に目を向けて欲しいですね。でもその前に、日本のことをよく知らなければなりません。特に、日本を色々な角度から見ることが必要でしょう。例えば、戦争を被害者の視点からだけではなく、加害者の視点からも自分の国を見ることも大切です。日本は唯一の被爆国だけれども、他国に侵略したことで加害者であったことを忘れてはいけません。その中で、他国の人から日本はどう見えたのかを知ること、そして、実際に何が起きたのかという事実を客観的に知る努力が必要でしょうね。このように、物事を客観的に見る態度、相手の視点で物が見えることが国際社会において求められ、そして真のグローバル市民になるために必要なことだと思います。

 

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茶木さんを囲んで。インターンの 稲垣葉子(左)と 村山南(右)

 

 

[i] 2010年まで行われていた国内採用競争試験に代わり、現在毎年行われている採用試験は、ヤング・プロフェッショナル・プログラム(YPP)と呼ばれています。受験資格など詳細はこちら >>>  

国連職員採用-YPP- | 国連広報センター



 

 

 

 

 

 

シリーズ「南スーダンからアフリカ開発会議 (TICAD VI) を考える」 (4)

シリーズ第4回は、世界的な人の移動の問題を扱う国際移住機関(IOM)を取り上げます。南スーダンでは2013年12月に起こった紛争とその後の洪水の影響で、多くの人々が国内避難民(IDP)や国外への難民となり故郷を離れました。IOMは、国境管理官に技術トレーニングを行うなど相手国政府のキャパシティービルディングを進める一方、影響を受けたコミュニティーや人々に人道支援を行い平和構築に取り組んでいます。

 

第4回 国際移住機関(IOM)南スーダン事務所

人道支援と入国管理のキャパシティービルディングに取り組む~

 

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ベンティウの文民保護区で行われているIOMの給水支援    ©IOM

  

南スーダンでは2013年12月に発生した紛争により、240万人近くの人々が避難生活を余儀なくされ、2016年には少なくとも610万人が保護や支援を必要としています。この危機は、スーダンからの独立を勝ち取ったわずか2年後、人々が数十年におよぶ紛争の後、故郷に戻ってきたときに発生しました。

 

国際移住機関(IOM)はこの危機に対応し、南スーダンの紛争の影響を受けたコミュニティーで、診療所の運営、清潔な水の供給、シェルターの提供、生活必需品の提供など人道支援を実施しています。IOMは危機の前、2005年のスーダンとの南北包括和平合意の後、人々の南スーダンへの帰還を支援してきました。IOMは人道支援を行うと同時に、出入国管理や人身取引対策を行う「移住管理(migration management)」や移民の保護を通じて、人としての権利と尊厳を保障するなど、国境を越えた人の移動の促進に努めています。

 

建国間もない南スーダンは不安定な状況の中、未だ法体系や政府機関を整えている段階にあります。こうした環境の下、IOMは人々の自由な移動と経済成長を促進しながら、南スーダン政府の入国管理官が国境を守りつつ、移民の権利の保護ができるよう、キャパシティービルディングを支援しています。

 

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IOM南スーダン事務所のサラ・バシャ移住管理プロジェクト・マネージャー   ©IOM

 

IOM南スーダン事務所のサラ・バシャは、2014年以来、この若い国の歴史で最も不安定な2年間を通じて移住管理プロジェクトのマネージャーを務めてきました。「南スーダンには、インフラも人材もほとんどないか全くないかで、移住関連法を施行するために、全くのゼロから始めなければなりませんでした」

 

来たるアフリカ開発会議TICAD VI)での優先事項に沿って、IOMは南スーダンでの平和の定着、安定化、民主化、グッド・ガバナンスを支援しています。和平プロセスの進展が必ずしも楽観視されておらず、南スーダンが地域経済でより大きな役割を果たそうとする中で、政府のキャパシティーの向上を確実なものにしていかなければなりません。

 

サラが率いるIOMチームは、南スーダン政府のキャパシティーの向上を重視しオーナーシップ(当事者意識)を確保しながら、政府主導で法体系や業務が整備されるよう尽力しました。「南スーダン政府のニーズに応えるのは大変でした。例えば、国境管理官が移住データシステムを扱う技術がないとわかれば、あらゆるレベルの職員のためのトレーニングを用意しました」

 

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ジュバ市にある国連ハウスIDPキャンプで働く、サラ・バシャ移住管理プロジェクト・マネージャー  ©IOM

 

IOMはまた、日本政府の援助で、国境管理を適切に行えるよう政府が入国管理トレーニングマニュアルを策定するのを支援したり、国境ポイントの建設や空港での入国管理の手順を改善したりしました。しかし、危機下での制度構築には困難が伴いました。「紛争に巻き込まれている政府と仕事をするには、正しいプロジェクトを実施することと、政府のニーズを聞くことの微妙なバランスが求められました」とサラは言います。

 

移民一人ひとりが保護や支援を必要とする場合が多いので、政府が機能していなくても移住管理は必要とされています。2005年に終結したスーダン北部と南部との長い紛争の後、南スーダンでのさまざまなビジネスチャンスを目当てに、アフリカのあちこちから人々が集まってきました。しかし、2013年12月に危機が勃発してからは、南スーダン国民とともに、こうした移民は国内で立ち往生して困難な状況に置かれました。

 

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多くの国内避難民が身を寄せるベンティウの文民保護区    ©IOM

 

IOMは南スーダン政府や国連NGOと緊密に連携し、アフリカ大陸各国からの移民700人以上に母国への帰還を支援したり、南スーダンで安全に滞在できるよう支援したりといった活動を行いました。

 

一人の移民がサラの記憶に残っています。南スーダン人男性と結婚して2人の子どもがいるエリトリア人女性でした。彼女の夫はヌエル族で、紛争の初期の2014年に、南スーダン北部の主要な町の一つであるベンティウで戦闘があったときに亡くなりました。彼女は子どもたちを連れて首都ジュバに向かい、国連PKOの基地で、他の多くの南スーダン人と一緒に保護を求めました。外の恐怖からは逃れましたが、基地での生活も混雑しており、孤立して大変でした。南スーダンの二大民族であるヌエル族とディンカ族が反目すると、家族は国連の基地から離れることができなくなりました。子どもたちの民族的バックグラウンドを考えると、危険が及ぶかもしれなかったからです。命の危険を感じてエリトリアの故郷へ帰ることもできず、どうにもならない状況でした。

 

そんなとき、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)との協力で、IOMが彼女の支援に乗り出しました。UNHCRが庇護申請手続きを進めている間に、IOMは一時滞在許可の取得を支援し、彼女は日中子どもたちを置いて合法的に国連PKO基地から出て、庇護が認められるまでの間、収入を得るために働くことができました。

 

南スーダンに暮らす移民は、いろいろな方面からの障害に直面しています。南スーダン国内は危険ですし、母国に戻ることもできずにいます。膨大なニーズに向き合いながらも、安全を取り戻して生活を立て直していく家族を目にするのは、素晴らしい経験です」

 

平和と安定は、南スーダンの経済成長の促進に欠かすことのできない条件です。IOMは、人道支援と移住管理支援を継続することで、南スーダンが現在の危機を越えて、平和と繁栄の未来に向かうことを願っています。

 

伊藤忠商事、企業として初めて社員向けにSDGsの公共広告を放映

                                youtu.be

 

所長の根本です。今年は持続可能な開発目標(SDGs)の実施元年です。先のG7伊勢志摩サミットでも主要議題の一つとして議論され、首脳らが不平等の解消や環境保護などを推進して持続可能な社会にメドをつけつつ、2030年までにあらゆる形態の貧困をなくすSDGsへの決意を新たにしました。

でも、SDGsは政府や国際機関だけで実現できるものではありません。民間企業、市民団体、そして私たち一人ひとりがSDGsを自分の生活や仕事に関係していると実感し、自分にできるアクションを考えることが大切です。

そのためにはまず多くの方々にSDGsを知ってもらわなければ、という強い思いから、国連広報センターでは黒柳徹子さん出演のSDGsの公共広告を作りました。G7伊勢志摩サミットの直前の5月19日から都内の街頭の大型ビジョンで流れていますが、今週さらに大変勇気づけられる動きがありました。

 

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渋谷にて放映されるSDGsの公共広告

 


国連グローバル•コンパクト署名企業である伊藤忠商事本社で、社員への啓発のために、社員が集まる社員食堂入り口付近のモニターでこの公共広告の放映をスタートしてくださったのです。国連広報センターに連絡があった限りでは、社員向けにこの公共広告を社内で流してくださった企業の第一号となります。

 

「SDGsについて動画を通して社員に知ってもらう良いきっかけです。社員の出入りが多い食堂にて放映することで社員にも関心を持ってもらえます。モニター前を通る社員が黒柳さんの映像に注意を引き『SDGs…?』と呟きながら歩いていくのを見かけますよ」と企業での初めての事例に踏み切ってくださった伊藤忠商事 広報部CSR・地球環境室長の小野博也さんが語ってくださいました。

 

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 (左)伊藤忠商事 小野CSR・地球環境室長 (右)国連広報センター根本所長

 SDGsの公共広告が放映される伊藤忠商事本社内の食堂モニターの前にて

 

社員に対してSDGsを推進する上できめ細かな心配りを行っているそうです。「大々的に上からSDGsの各ゴールを掲げて、社員に押し付けては抵抗があるので、社員一人ひとりが現在すでに行っている仕事自体がSDGsに繋がっていることを伝えています。既にSDGsに貢献していることに気付くことが大切です。また、新入社員の研修でもSDGsについて説明会を行ったり、毎月発行する社内報にSDGsの目標を少しずつ織り交ぜていく工夫も行っています」

 

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モニターの前を社員が行き交う。映像に目をやる社員も少なくない

 

 

小野さんは伊藤忠商事社内の様々な社会貢献活動についても紹介してくださいました。

 

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 社内に設置されているNPO法人チャイルド・ケモ・ハウス活動を支援する自動販売機

 

「社内に設置されている一部の自動販売機はNPO法人チャイルド・ケモ・ハウス活動を支援するもので、こちらで飲み物を購入すると小児がんの子ども達を支援できるようになっていますし、社内食堂では対象となる定食や食品を購入すると、1食につき20円の寄付金が開発途上国の子どもの学校給食になる『TABLE FOR TWO』というプロジェクトも行っています。以上のように、日頃のアクションが世界に貢献するような取り組みを行っています」

 

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 社内食堂。TABLE FOR TWOが表記されている

 

SDGs公共広告を社員啓発に流してくださる動きがより多くの企業に広がればと願っています!

 

ご関心のある方はどうぞ国連広報センターまでご連絡ください。