国連広報センター ブログ

国連のさまざまな活動を紹介します。 

シリーズ「今日、そして明日のいのちを救うために ― 世界人道サミット5月開催」(8)

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シリーズ第8回は、国連難民高等弁務官事務所UNHCR)元難民保護官で現在JICAシニア・アドバイザーの帯刀豊さんです。「難民の数、そのニーズは増え続け、人道支援の許容範囲を越えつつあります。この閉塞的な状況を抜け出すための一つの方策は、難民に出口を提供する仕組みを作ることです」と帯刀さんは強調します。難民と真摯に向き合ってきた帯刀さんが、難民問題の奥深さと、解決への展望を語ります。

 

                     第8回 国連難民高等弁務官事務所・元難民保護官 

                              現JICAシニア・アドバイザー 帯刀豊さん

                       ~人道と開発の連携による難民問題の「解決」に向けて~

 

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              帯刀 豊(たてわき ゆたか)

一橋大学法学部卒業後、東京銀行入行。外務省経済協力局出向、アジア経済研究所開発スクールを経て、エジンバラ大学、オクスフォード大学で国際法と難民・移民に関する修士号を取得。旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷勤務を経て、2003年よりUNHCR職員。インド、スーダンイラクアフガニスタン、タイ・ミャンマー国境で難民保護官として勤務後、現在はJICAシニア・アドバイザー。

 

2011年、アフガニスタン北部のとある村でのことです。UNHCRの難民保護官として赴任したばかりの私は、村の長老達と対面しました。タリバン勢力の崩壊とともに進展したアフガン難民の帰還も一段落し、全人口の4分の1に当たる570万人以上の難民がすでに帰還を果たしていました。故郷に帰還した難民の晴れやかな顔を私は想像していましたが、やがて一人の男性が私にこう告げました。「仕事のない私には家庭で居場所がない。昨日、学校にも行けず暇を持て余していた息子が家を出て行った」男性はこう続けました。「パキスタンにいた時の方が幸せだった」

UNHCRは全土で帰還民を対象に緊急サーベイを実施しました。質問は、帰還したという実感はあるか、ということに尽きます。結果は、60%が生活を取り戻すに至っておらず、15%は再び故郷を去っている、というものでした。私はその結果に驚愕しました。帰還民の多くはまだ「難民」のままであったということです。「この過ちは直ぐに正さなければならない」と、当時のUNHCRアフガニスタン代表は表明しました。

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                                                              帰還したアフガン難民と

 

2013年、私はタイ側国境でキャンプ生活を送るミャンマー難民の帰還を準備していました。ミャンマーでは武装勢力が政府との停戦に応じ、誰もが帰還の条件が整いつつあると感じていた時です。UNHCRはまず、難民自身の意思を問う聞き取り調査を実施しました。結果は、90%以上もの多数が帰還を望んでいないというものでした。予想外の結果でした。

何が帰還を思い止まらせるのでしょうか。何度も停戦に裏切られてきた難民の心中は容易に察しが付きます。しかし私が気になったのは、その次の理由、就業と生計への不安、でした。かつてのアフガン男性の顔が目に浮かびました。数か月後、私はキャンプ内で、とあるNGOによる映画上映会に立ち会いました。現実の将来を見通せない難民は映画に希望を見出せるのだろうかと、正直私は懐疑的でした。しかし翌日、私はキャンプ内で活発に動き廻る若者の一団と遭遇しました。「映画を見せるだけでなく、映像の撮り方を教えているのです」とそのNGOの職員が私に言いました。「若者は母国に戻ってニュース番組を立ち上げたいそうです」

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                                      難民を乗せたボートの行き交うタイ・ミャンマー国境の川

 

難民が「難民」でなくなることは容易ではありません。一方で、新たな難民と紛争による国内避難民の数は増え続け、ついに統計を取り始めて以来最大の6000万人に達しました。昨今のシリア情勢でも明らかなように、難民を生み出す紛争に終止符を打つことは政治的にも軍事的にも容易ではありません。難民の数、そのニーズは増え続け、人道支援の許容範囲を越えつつあります。

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                                               スーダンダルフールの避難民キャンプにて

 

この閉塞的な状況を抜け出すための一つの方策は、難民に出口を提供する仕組みを作ることです。実は難民の80%以上が開発途上国で受け入れられ、その半数以上が5年間以上、時に20~30年間もの長い間、難民生活を強いられています。そうした難民は昨今、キャンプでの受け身の生活に甘んじることなく、現地コミュニティに飛び出して自立した生活を志向し始めています。自立のために難民は、コミュニティ内で就業・生計手段の確保や教育の機会を必要としています。就業・教育を通じて継続的に難民をエンパワーメントしていくための支援。その比較優位を持つのは人道機関でなく、開発機関です。そして、難民がコミュニティの中で自立した存在となり得た時、それが受入国での現地統合という形であれ、帰還後の再統合という形であれ、難民が難民でなくなるという可能性が生まれるのです。

難民を生み出す紛争を止めることが難しいのであれば、紛争以外の要因のために長く難民状態に留め置かれた人々に対し難民であることを卒業するための手助けをする。難民問題においてはこれを、保護でも支援でもなく、解決(solution)と位置づけます。これは右肩上がりの難民支援ニーズを緩和することにも繋がり、ここに人道・開発連携の意義の一端が見出されるのです。

 

私は現在UNHCRからJICAへと出向し、この難民問題解決に向けた連携を追及しています。国際社会もまた、連携の動きを加速させています。2014年4月、UNHCRやUNDP等の国連機関、JICA等バイの開発援助機関、難民ホスト国、NGOや民間企業、大学研究機関、その他50以上の政府代表や国際機関が参集し、難民問題解決を目指す連携枠組み、’the Solutions Alliance’(SA) (http://www.endingdisplacement.org) を立ち上げました。UNHCRとJICAは共に、発足当初からこのSAの取組を積極的に支援しています。世界人道サミットにおいてもまた、’Leaving No One Behind: A Commitment to Address Forced Displacement’を旗印とした難民問題の解決、また’Changing People’s Lives: From Delivering Aid to Ending Need’をモットーに、包括的な連携枠組構築が優先分野として強調されています。UNHCRとJICAもその趣旨に強く賛同し、同サミットの場において、難民問題解決に向けた人道・開発連携の実績と提言を積極的に発信することを予定しています。

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2015年、私はザンビアウガンダを訪れました。SAは両国をモデル国に指定し、現地統合を通じた難民問題の解決を支援しています。難民に土地と生計手段を供与し、ホスト・コミュニティと共に国の開発の担い手として育てるという取組。難民問題解決に向けたこの稀有な取組をUNHCR・JICAとしても後押ししています。両国での取組は、世界人道サミットにおいても取り上げられるはずです。まずはこれらの国々で、人道・開発連携の目に見える成果を挙げることができればと、そう考えています。

 

国連難民高等弁務官事務所UNHCR)について、詳しくはこちらもご覧ください。

 

国連難民高等弁務官事務所ホームページ(日本語)

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東京マラソン2016チャリティで日本と難民のかけはしに ―難民の学生とともに―

2016年2月28日(日)、東京マラソン2016。青空の下、真っ青なTシャツを着た7人組が東京の街を駈け抜けました。国連UNHCR協会公認企画「難民かけはしプロジェクト」のランナーたちです。

「日本と難民の方々のかけはしになる」その思いを胸に42.195kmのフルマラソンに挑戦したランナーたちと、それを支えた仲間たち。彼らの思いを聞き取り、以下にまとめました。 

  

                                             そろって出発する難民かけはしランナーたち。
                                 プロジェクトに賛同してくださったサポートランナーの方々も。

 

「難民かけはしプロジェクト」とは

難民かけはしプロジェクトは、難民という背景を持つ学生と難民問題に関心を持つ学生が、ともにチャリティランナー制度を利用して2016年2月28日(日)に行われた東京マラソン2016に挑戦したプロジェクトです。スポーツという親しみやすい切り口から日本の皆さまに難民問題に関心を持っていただくための広報啓発活動と、東京マラソンチャリティのクラウドファンディングサイトを利用した、難民キャンプにテントを届けるためのファンドレイジング活動を行いました。国連UNHCR協会の公認企画として、学生が2015年4月にゼロから自主的に立ち上げて運営してきたものです。

 *国連UNHCR協会は東京マラソン2016チャリティの寄付先団体です。 

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                                                                 日々の活動の様子

 なぜマラソンなのか

難民問題を考えると言うとどうしても硬くなりがちですが、スポーツやマラソンという親しみやすい切り口から、より多くの方に身近に感じてもらいたいと考えたのが理由です。2月初めにランイベントを開催した際「まじめな講演会だとハードルが高いけれど、ランニングだから参加できた」と言ってくださった方もいて、この切り口の意味はあったと感じています

また、マラソンというスポーツには敵味方はありません。他のスポーツとは違いマラソンは42.195㌔という大きな困難な目標に向かって一緒に、仲間として挑戦できるという点がよいところです。

難民問題は悲惨な問題とみられがちで、実際そういう面もあるのですが、私たちのプロジェクトでは「難民の背景を持つ学生も日本人の学生も仲間として一緒にひとつの挑戦をする」というポジティブな面を見ていただきたいというねらいがあります。

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                                                     東京マラソン2016 当日の様子

 

難民かけはしプロジェクトを通して伝えたいこと

このプロジェクトは、難民という背景を持つ学生が走るというのが大きな特徴です。難民というと「着の身着のまま逃れてきて怖い人」と思っている人もいるかもしれませんが、日本で勉強したり日々の生活を送ったりしている彼らと接して私たちが強く感じているのは、「同じ人間なのだ」ということです。

難民問題は遠い問題に感じるかもしれないけれど、まずは日本にも難民はいることを知っていただき、彼らを通して日本の多くの方に難民問題へ関心を持っていただきたいと思います。

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                                                       難民かけはしランナー7名全員完走!!

       何人かが足を痛めながらも、おたがいのはげましや応援などにより、無事全員が完走を果たしました

 

ランナーたちの思い・学び

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私はインドシナ難民2世です。

今までとは違う挑戦をしてお世話になった方々への恩返しをしたい、同じ境遇の子どもたちに勇気と元気を与えたい、という思いでこのプロジェクトのランナーとして走ることを決めました。

東京マラソン2016本番は途中で足がつって、走るのがどうしても辛くなってしまいました。その時、小学校のころから勉強や進路のことでお世話になってきた金川先生に電話したんです。そうしたら先生が「アン、頑張ってるやん、いけるいける!」と励ましてくださって。共同代表の金井くんもずっと隣で声をかけながら励ましてくれました。そのおかげで走りきることができました。ひとりでは完走することはできなかったと思います。

このプロジェクトを通して、人前で話したり、マラソンの練習に取り組んだりと、成長することができました。これからも難民の方々のために自分にできることをしていきたいです。

 

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私はミャンマー難民2世です。

私は、日本にも難民が暮らしているということを少しでも多くの方に知ってもらいたいという思いから、このプロジェクトのランナーとして走ることを決意しました。

東京マラソン2016本番では徐々にみんなから遅れてひとりで走ることになってしまい、足が痛くて痛くて涙が出ました。心もからっぽになりかけていたとき、沿道応援のメンバーの「シャンカイさーーーん!!!」って声が聞こえて。それで一気に元気が出て、みんなとの約束(フィニッシュで会おう!)を守ろうとの思いだけで完走することができました。フィニッシュしたときは涙がとまりませんでした。

よくスポーツ選手が「皆さんの応援のおかげで力が出ました」と言うのをいままではあまり信じていませんでしたが、今回自分自身が応援の力を強く感じました。

 

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私はアフガニスタンから避難してきた難民です。

私はずっと前からマラソンを走ってみたいという思いがありましたが、日本に来る前はスポーツに打ち込む余裕はありませんでしたしランニングに関する知識もなかったので、その夢がかなうとは思ってもいませんでした。しかし難民かけはしプロジェクトが東京マラソンに出場する機会を与えてくれる、そしてそれが難民問題に関心を持ってもらうことや難民キャンプにテントを届けるためのファンドレイジングにつながると知って、すぐに走ろうと決めました。

東京マラソン2016本番では走っているうちにひざが痛くなって不安になりましたが、いっしょに走っていたランナーや応援のメンバーが応援したり、痛み止めを用意したりして支えてくれたおかげで無事にみんなとフィニッシュすることができました。

フルマラソン完走という大きな達成を経験したこと、その挑戦を日本の学生のみんなとできたこと、そして自分を支えてくれる仲間ができたことは、私の人生において大きな財産になることと思います。このプロジェクトを通して、日本のチームワークのスピリットの強さも感じました。今後はこの経験で得たものを活かして、「より平和な世界の実現に貢献すること」という自分の人生の目標を追いたいと思います。

 

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ラソンというスポーツには敵味方もなく、あるのは自分との戦いです。そんなときに仲間がいることは大きな支えになります。私たちが仲間としていっしょに東京マラソン2016に挑戦する姿から、背景の違いは関係なく、私たちはみな同じ人間なのだということ感じていただけたら幸いです。

世界ではいま、1日に4万人以上新たに難民が生まれている計算になります。つまり、東京マラソンの総ランナー数より多くの人々が家を追われ、応援もなくゴールも見えない新たな旅を強いられているのです。中には4000km、私たちが走る距離の約100倍の距離を移動する方々もいます。そうしたことに少しでも思いをめぐらせていただくことのきっかけになれればと願っています。

 

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ぼくはスポーツで社会貢献という理念に共感してこのプロジェクトに参加しました。

スポーツの醍醐味は、1つの目標に向い、全力でがんばる人がいて、それを全力で支える人が居ることです。これは世の中のどのような活動でも大事になることで、難民問題も同じだと思います。

難民問題は複雑で、直接解決に貢献するには専門的な知識や経験が必要だと思います。ただ、僕のような知識や経験がないひとにも、解決のためのサポートはできます。難民という背景を持った方々のことを理解し、解決に向け頑張る人のサポートをする。難民問題の解決には、世界中のみなさんの応援が必要になるのではないでしょうか。

 

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私が何よりもスポーツの力とこのプロジェクトの意義を感じたのは、東京マラソン2016本番のラスト40㎞を超えたときでした。最後の2.195㎞は今までこんな道のりがあっただろうかという程、精神的に果てしない長さでした。しかし隣にいるランナーもみんな私と似たような顔で必死に一歩ずつ進んでいました。その時に言葉だけでは感じ得なかった「難民という背景をもつ人も私たちもみんな同じ人間であり、前にむかって進もうとしている」という強烈な実感が湧き上がりました。この経験はいっしょに仲間としてフルマラソン完走という一つの挑戦をしたからこそ味わえたものだと思います。

 

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ランニングをしながら難民というバックグラウンドをもつランナーと交流するうちに、彼らも自分と変わらない学生なのだと気づかされました。そのおかげで、難民問題を政治や社会の問題としてではなく、自分と変わらない人々のために私たちに何ができるのだろうという次元で考えることができるようになりました。

東京マラソン2016本番では難民かけはしプロジェクトのメンバー以外の方も「難民かけはしプロジェクトがんばれ!!」と声をかけてくださって、少しでも多くの方に難民について考えていただくきっかけになることができたのではないかと思います。

 

応援メンバーの思い

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東京マラソンは国際的なマラソン大会で、たくさんの外国人の方が参加しています。沿道で応援していると、誰もが笑顔で返してくれます。そこに国籍や言語、境遇などは関係ありません。

 

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初挑戦ながら42.195kmをひたむきに走る難民かけはしランナーは、自分たちの中では難民だとか国籍だとかそういったものはいつの間にか取り払われ、一年間ともに頑張ってきた仲間として見えました。

このプロジェクトは2015年4月にゼロから立ち上げたものです。東京マラソン2016までの約10か月間、立ち止まるひまも、転んでも倒れているひまもなく走り続け、ランナーたちと同じ気持ちで彼らを支えてきました。

東京マラソン2016当日は、満身創痍ながらも完走し最高の笑顔と涙をみせたランナーに自分を重ね、胸が熱くなりました。ランナーたちが「応援が力になった」と言ってくれたこと、そして途中で栄養補給の食べ物や痛み止めなどを手渡すといった形でも役に立てたことが嬉しかったです。

最初はわからないことばかりだった私たちがこのプロジェクトを実現できたのは、様々な場面で応援してくださった多くの皆さまのおかげです。

ファンドレイジングにおいては、2016年3月22日(火)時点で、難民かけはしランナー7人の分として901,000円、サポートランナーの分も含めると1,311,000円のご寄付が集まっています。この寄付はUNHCRが難民キャンプにテントを届け、難民の方々を厳しい自然環境から守るために使われます。90万円はテント約15張、130万円はテント約21張に相当します。2016年3月31日まで次のサイトで寄付を受け付けておりますので、応援よろしくおねがいします!https://www.runwithheart.jp/charity_sheet?id=4558

ご協力くださった皆さま、どうもありがとうございました!

このプロジェクトはフルマラソンを走って終わりではありません。私たちが得た学びを伝え、これからもより多くの方に難民問題に関心を

 

持っていただくための活動を続けて参ります。

難民かけはしプロジェクトはホームページやFacebookで今後とも広報を続けてまいりますので、ぜひいいね!やシェアをよろしくお願いいたします。

みなさまの行動がより多くの方に難民問題に関心を持っていただくことにつながり、それが難民の方々の力になります。ご協力をどうぞよろしくお願いいたします!

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以上、このプロジェクトを担ってきたメンバーの思いをご紹介させていただきました。

学生にとっても国連UNHCR協会にとっても初めての挑戦だったので、当初からいくつものハードルが現れ、その度に力を合わせて乗り越えて、ひとまずゴールまでたどり着きました。1年近くの日々をかけて準備し、共にマラソンに挑戦した共通体験が、未来につながる財産になりました。

 

3月31日までに、皆様から当プロジェクトへのご寄付の総額は【99万4000円】、プロジェクトに賛同して一緒に走ってくださったサポートランナーのみなさまの分も合わせると【140万4000円】となりました。これはUNHCRを通じて、家を失った難民の人々の生活に欠かせないテントを難民キャンプに届けるために活用されます。

 

難民かけはしプロジェクトホームページ

http://nanmin-kakehashi.net/

難民かけはしプロジェクトFacebook

https://www.facebook.com/nanminkakehashi

国連UNHCR協会ホームページ

http://www.japanforunhcr.org/archives/6839

http://www.japanforunhcr.org/archives/6729

 

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中村 恵 国連UNHCR協会職員(上記写真の前方2列目右から2人目)

 

1989年に国連難民高等弁務官事務所UNHCR)に就職。ジュネーブ本部、駐日事務所広報室勤務の後、ミャンマーにて、援助現場での活動に従事し、2000年末にUNHCRを退職。UNHCRへの公式支援窓口であるNPO法人国連UNHCR協会の設立(2000年10月)に関わって以来、協会職員として民間からのファンドレイジングに従事。東京マラソン2016チャリティの担当として公認企画「難民かけはしプロジェクト」をバックアップ。

シリーズ「今日、そして明日のいのちを救うために ― 世界人道サミット5月開催」(7)

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シリーズ第7回は、今年1月末まで、国連開発計画(UNDP)対外関係・アドボカシー局で勤務された二瓶直樹(にへい なおき)さんの話をお伝えします。UNDPは世界中で起こる自然災害や紛争といった緊急性の高い危機対応などに対処するため、政府やその他の国連機関と協力し、難民のための人道支援などを施しています。実際にマケドニア旧ユーゴスラビア共和国(以下マケドニア)を訪問し、難民の通過ルートとなる地方自治体への支援の重要さを実感した二瓶さん。長期化する人道危機に対しては、人道機関と開発機関が連携して支援を行うことが重要課題であり、世界人道サミットは世界と国連機関がそれに対してどのように取り組むのかを考える大きなきっかけになると語っています。

 

                   第7回 元国連開発計画(UNDP)対外関係・アドボカシー局、

                     現国際協力機構JICA) 二瓶直樹(にへい なおき)さん

                                    ~人道機関と開発機関が連携する時~

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2003年、JICA入構。以降、政府開発援助(ODA)業務に従事。2009-2012年、中央アジアウズベキスタンにて、市場経済移行期の社会・経済開発を目的とした民間セクター及び法整備支援、運輸・電力インフラ支援に従事。直近はJICAからUNDPへ出向し、ニューヨーク本部にて日本政府拠出の日・UNDPパートナーシップ基金の管理などを担当。2016年2月よりJICA本部東・中央アジア中央アジアコーカサス課にて勤務。早稲田大学大学院社会科学研究科修士卒。

 

シリア難民の欧州への大量流入

 

2012年8月から3年半勤務したUNDPニューヨーク本部対外関係・アドボカシー局ジャパンユニットでは、日本政府がUNDPと連携して実施する世界各地のプロジェクト管理を中心に業務しました。年々、世界中で起こる自然災害や紛争といった緊急性の高い危機対応などに対処するため、日本政府からの資金拠出を受けて実施するプロジェクトの形成に関与しました。その時々の世界情勢を受けて各地のUNDP現地事務所との強い連携のもとプロジェクトの形成を経験しましたが、離任前の2015年夏以降から2016年にかけて携わった業務の1つがシリア難民に対する支援、UNDPと国連難民高等弁務官事務所UNHCR)と日本政府の連携プロジェクトの形成です。昨年12月、ジュネーブUNHCR本部を訪問して関係者との協議に参加しました。

 

メディアの報道等でもご存じの通り、2015年、特に9月以降は、中東から欧州への難民・移民の大移動が世界に大きな衝撃を与えました。シリア国内の不安定な情勢から端を発した人の移動は、これまではシリア周辺国であるヨルダン、レバノンイラク、そしてトルコに留まることがそれまでは通例でした。しかし、トルコ国内でシリア難民は既に230万人を超すと言われる中、難民はシリア周辺国に留まるのではなく、より安全で、社会保障が充実する国を目指しました。その結果、欧州に向けて人の大移動が起きました。

 

この大移動は、主にトルコや地中海を経由し、ギリシャからバルカン半島セルビアマケドニアクロアチア)を通過してシェンゲン協定国のドイツやスウェーデンをはじめとする難民への社会保障制度が整う北欧諸国に向いていました。更に、この人の大移動は、シリア難民だけではなく、不安定な情勢が続くアフガニスタンイラクなどに加えて、政情不安、貧困、抑圧等の理由からアフリカやアジアの様々な国からも入ってきた人が多くいます。

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     トルコで生活をするシリア難民の子どもたち(2015年4月撮影、Credit: Ariel Rubin/UNDP)

 

欧州バルカン半島を通過する難民

 

2015年12月に欧州南東部に位置するバルカン半島に出張し、実際に難民が通過するセルビアクロアチア国境のシド(Sid)国境通過点の現場視察をしました。シド鉄道駅近隣には、UNHCR国際移住機関(IOM)が支援する難民テントが多く張られていました。また、他国からセルビア国内を通過してシドに到着した難民の行政手続きを支援する受付所がセルビア政府により設置されており、難民が休息するテント、仮設トイレ、水供給・衛生施設などを人道援助機関やNGOsが支援していました。

           

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               UNHCRより2016年2月26日現在の地図

 

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   セルビア内のクロアチア国境シドの難民受付センターに到着する難民たち(2015年12月、筆者撮影)

 

また、欧州バルカン半島の南ギリシャと国境を接するマケドニアの南部に位置するゲフゲリアという街でも難民通過地点の現場を視察しました。2015年9月以降、ピーク時は1日約1万1000人がゲフゲリアを通過し(ゲフゲリアの人口は約1万5000人)、同年12月時点では毎日約4000人の新しい難民が通過していくと関係者は指摘していました。人の移動においては、セルビアクロアチアのシド国境と同様に、難民を管理・保護するための支援が人道援助機関により行われます。シド、ゲフゲリア共に難民の大量流入により、自治体の対応能力が限界に達し、国際社会の支援を必要としています。

 

UNDPは、難民を受け入れるホストコミュニティ、地方自治体による自治体の基礎社会サービス面において支援をしており、私の訪問時は日本政府との新規連携案件の形成に関する協議を行いました。特に、ごみ処理対応や水供給サービスを中心として、一時的な人口増による社会インフラ面の支援を主に担っています。また、難民をホストする自治体で地元住民の理解促進、啓発事業、ボランティアを動員し、難民を受け入れる自治体の対応能力の強化などのニーズが高まっています。

 

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 マケドニアのギリシアと国境を接するゲフゲリアの難民通過地点。ギリシアからマケドニアに入国し、マケドニアの北部セルビア国境へ向かう鉄道を待つシリア難民(2015年12月、筆者撮影)

 

このような協力は、日本の資金拠出により、UNDPが中東のヨルダン、シリア、レバノンイラク等で流入するシリア難民や国内避難民(IDPs)に対して既に行っているものと類似しています。シリア危機以後は、シリア難民が周辺国へ大量に流出しており、周辺国の地方で多くの難民がキャンプ内外で生活をしています。欧州への難民の動きと異なり、シリア周辺国では、トルコを始めキャンプ外で、難民がホストコミュニティの中で生活する状況が続いています。この状態が長期化し、周辺国の対応、収容能力に限界が出たことが、2015年9月以降の難民の欧州への大流出と関係しているとも考えられます。

 

人道と開発が連携する機会

 

紛争や災害後に発生する難民、避難民をUNHCR等の人道援助機関が支援し、紛争状態や災害後の状況が一段落すると、難民、避難民は元の居住地域へ戻りますが、その際に彼らが社会生活を送れるように支援する段階へと移ります。そこで、支援母体が人道・緊急援助機関より、UNDPや開発援助機関へ移行することになります。このような状況下では、継ぎ目のない支援(Seamless Transition)を行うことが、人道・緊急支援から開発援助へ段階移行する際の重要課題となっていました。

 

現在世界で起こっているシリア難民の動きのような人道危機は、長期化する様相を呈しており、従来の支援アプローチでは十分ではありません。難民の移動が絶えず長期化する事態においては、難民への人道支援と、難民を受け入れるホストコミュニティへの支援が同時並行で、双方を補完し合いながら実施し、効果をあげることが重要課題となります。日本政府もこの課題への対応を重要視しており、人道支援機関のUNHCRと開発援助機関のUNDPが連携し、危機に対して、人道面と開発面から包括的に合同での支援策を計画しています。近年シリアやその周辺国でそれを実践しています。

 

上述のセルビアでは、UNHCRが全国連機関事務所をまとめる調整連絡会議を定期的に開催し、国連機関同士の連携を取りつつ、現場に必要な支援策を検討、実施しています。私も実際、セルビア滞在中にUNHCRの定例会議で議論に参加しました。国連は危機対応時に必要な資金や具体的な事業を記載した文書を作成し、日本や他の国連加盟国にアピールします。加えて、今回の欧州バルカン半島ケースでは、過去あまり注目が置かれていなかった難民が通過する際に滞留する自治体におけるホストコミュニティの社会サービス面の現場ニーズについて、UNDPがリード機関となり対応することがUNHCRや他の国連機関から認識されて、対外的にも明確になっています。人道機関のUNHCRと開発機関のUNDPがこのように長期化する難民・移民危機の現場でいかに力を合わせて補完し合いながら対応するかの新しいモデルともいえる動きだったと私は見ています。

 

シリア危機をはじめ、世界各地において、現在そして将来、危機に対する人道と開発の連携がこれまでより一層重要となっています。5月の世界人道サミットは人類が直面する危機に如何に世界と国連機関が取り組むのかを考える大きな契機となります。UNDPをはじめとする開発実施機関が、UNHCRのような人道支援機関とともに、今後も現場の支援活動から得られた教訓をもとに、日本政府や援助実施機関であるJICAと更に連携・協力して、貢献していくことを期待します。

 

 

*本記事は2015年12月に筆者がバルカン半島を視察訪問した際のもの。その後も欧州バルカン半島の移民ルートの動きは流動的であり、2016年3月9日現在、マケドニア政府はギリシャ国境からの移民入国を禁止することを発表。これによりバルカン半島からヨーロッパ北部に移動するためのルートは閉ざされ、マケドニアギリシャの国境地帯には、多くの移民が立ち往生し、新たな決断を迫られている。

 

 

国連開発計画(UNDP)について、詳しくは以下をご覧ください。

 

 

国連開発計画ホームページ

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Youtube (日本語)

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「未来への種まき ~食べることは、生きること~」

「100やらなくてもいい、10でも、1でもいい。それでも0よりずっといいから」と、知花くらら国連WFP日本大使が、現地視察での経験や感じたこと、さらに「私たちにできること」について、1月22日、明治大学にて開催されたセミナーで語りました。これは、2015年3月から実施してきた計6回の国連創設70周年記念「いま、日本から国連を考える」 セミナー・シリーズの最終回(明治・立教・国際の3大学による大学間連携共同教育推進事業「国際協力人材育成プログラム」として実施)。同セミナーに参加した、国連広報センターのインターン、村山南がその模様をお伝えします。

 

              知花くらら 国連WFP日本大使

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2007 年より WFP オフィシャルサポーターを務め、2013 年 12 月に国連WFP 日本大使に就任した知花くららさんは、沖縄県那覇市出身、上智大学文学部教育学科卒業。2006 ミス・ユニバース世界大会で第2位に輝き、現在はテレビやラジオ、雑誌、CM に多数出演し、国内外に活躍の場を広げています。これまでにザンビア(2008 年)、フィリピン(2009年)、スリランカ(2010 年)、東日本大震災被災地(2011 年)、タンザニア(2012 年)、エチオピア(2013 年)、ヨルダン(2014 年)、キルギス(2015年)を訪問し、国連 WFP の支援活動を視察しました。マスコミやイベントなどを通じ、現地の声や国連 WFP の活動を伝える活動を積極的に行っています。

 

現場の視察から たくましく生きる人々との出会い

知花さんが国連WFPの活動に関わるようになって、今年で10年目。初めての現場視察であるザンビアについて振り返りました。困難な状況の中で懸命に生きるザンビアの人々ですが、知花さんが日本へ帰国する際に「あなたにあげる物は何も持っていないけれども、あなたの帰路をお祈りするわ」と声をかけられたことが印象的だったと語りました。ザンビアは洪水や干ばつが交互に起こるなど自然災害に多く見舞われ、人々は住む場所やその日食べる物に苦労を強いられています。そのため、国連WFPでは食糧支援として、子どもたちに学校給食を提供しています。このような厳しい状況で暮らすザンビアの人々のたくましさに、本当の豊かさとは何かを考えさせられました。        

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                                                                                      (写真:WFP/Rein Skullerud)

昨年には中央アジアキルギスを訪問し、「アフリカなどの現場とは異なる形の支援活動」という印象を受けたそうです。不安定な政治体制や、地震・洪水などの自然災害が重なり食料不足が深刻化しているキルギス。学校給食の質を向上させることが、国連WFPの目標です。その日食べることに事欠くような貧しさのアフリカの支援とは違う支援がキルギスで行われていました。さらにキルギスの貧しい立場の女性に対して、農業や裁縫などの研修を実施し、女性が手に職をつけるまでの間、国連WFPが食糧支援を実施しています。「仲間と集まっておしゃべりをしながら、自分の手を動かして仕事をする。自分達の足で進んでいるという実感ができて、それがすごく嬉しい」というキルギスの女性たちの言葉が印象的だったと知花さんは語りました。お金の大切さだけでなく、働くことを通して感じる「生きる喜び」がひしひしと伝わってくるエピソードでした。

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                                                                                  (写真:WFP/Maxim Shubovich)

 「シリア危機」は今世界で最も注目を集めている人道危機の1つです。メディアからの情報では、自分と異なった環境の中で生きている人々の生活を想像するのは容易ではないでしょう。この危機を自分の目で確かめるべく知花さんは2014年、ヨルダンのシリア難民キャンプを訪問しました。「この危機の深刻さを実感した」と国連WFP日本大使はスライドを見せながら彼女が受けた衝撃を語りました。難民家族との交流では「話して下さっているときの表情は明るくて、子どもたちも人懐っこくって。でも笑顔の向こう側で彼女達が通ってきた道のりを考えると、すごく胸が苦しくなって」と、難民でありながらも笑顔で過ごしているシリアの人々のたくましさに心を打たれたといいます。

 「100やらなくてもいい、10でも、1でもいい。それでも0よりずっといいから」

知花さんは解決がまだ見えないシリア危機に、少しでもいいから日本にいる私たちも行動してみることが大切だと訴えました。

 国連WFPは食糧を現物支給するだけではなく、食糧を購入するための電子マネーを送金できるデビットカードのようなカードを配っています。このカードを、難民キャンプ内にあるスーパーマーケットに持って行くと、食糧を買うことができます。このような新しいスタイルの難民支援があることに驚きました。              

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                                                                                          (写真提供:国連WFP)

 「世界の現実を伝えるということは知花さんにとってどんな意味がありますか」と、司会を務めた根本かおる国連広報センター所長からの投げかけに、知花さんは「私にできるちっちゃな一歩。常に現地に行って100パーセント自分の時間を捧げることができない分、私が今いる立場を活用して、実際に見て、感じて、聞いたものを皆さんに伝えることが私にできること」と、現地視察に対する熱い気持ちを語りました。

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              トークセッション 「未来の種まき~食べることは、生きること~」

 

 私たちにできること

学生とのダイアローグセッションでは知花さんの率直な支援への考え方、取り組み方が披露されました。学生代表として参加したのは、明治大学新井田ひなのさん、國分寿樹さん、萩原遥さん、立教大学山田一竹さんの4名です。

まず、新井田さんは、日常生活の支援において「私たちにできること」を質問しました。この質問は会場からも多く寄せられ、「遠くにいるからできることもあると思うんです。例えば『シェア・ザ・ミール(ShareTheMeal・国連WFPが開発した、1タップで1人1日分の食事と栄養を届けることが出来るアプリ)』などや、ネットの情報を活用することも1つのやり方です」と知花さんはオンラインツールを紹介しました。次に、どのようなことを心がけて難民の方々に接していますかという山田さんの質問に対しては、「できるだけ現地の方々の声を聞くようにしています。具体的に何が起きていて、何が必要なのかを聞くことで、私に何ができるのかを想像することができます」と、支援をする上で知花さんが大切にしていることを共有しました。続いて、國分さんからの質問「東日本大震災の印象」について、知花さんはこの未曾有の大難を一言で言い表せないとしながらも、「日本の復興の意志の強さと速さに驚きました。みんなが心を共有できる国だと誇らしく思いました」と述べました。最後に萩原さんからの質問「途上国のリポーターをするようになったきっかけ」について尋ねられ、「国連WFPの学校給食プログラムに一目惚れしました。今子どもたちが何を感じているのかは現地に行ってみないと分からないと思う」と、現地訪問の重要性について語りました。これには会場から多くの共感を得ました。

この4名の学生は、実際に留学やボランティア活動など、さまざまな実践を積極的に行っています。彼らの活動に対し知花さんは、「自分の経験から得た気付きは宝物。それを多くの人にシェアしてほしいです」と、これからを担う彼らにエールを送りました。 

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              知花くらら国連WFP日本大使と学生代表とのダイアローグセッション

左から、根本かおる国連広報センター所長、知花くらら国連WFP日本大使、明治大学新井田ひなのさん、立教大学山田一竹さん、明治大学國分寿樹さん、明治大学萩原遥さん

 

本ブログ記事を担当して

今回のセッションで特に印象的だったのが「私が今いる立場を活用して」という知花さんの言葉です。著名人である知花さんだからこそ、たくさんのひとを巻き込み、新たな支援者を生むことができるのだと思います。実際にそこにいた私も影響を受けた1人です。「100やらなくてもいい、10でも、1でもいい。それでも0よりずっといいから」という言葉に共感しました。少しでもいいから自分の興味のある課題について「調べてみる」ことからはじめて、考えてみる、そして行動してみようと改めて思いました。私にもできることは意外とあるのかもしれないと、身が引き締まる思いでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シリーズ「今日、そして明日のいのちを救うために ― 世界人道サミット5月開催」(6)

 

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シリーズ第6回は、国際協力機構(JICA) 国際緊急援助隊事務局の江崎晴香さんです。JICAは地震津波といった自然災害や、事故をはじめとした紛争に起因しない人的災害に対して国際緊急援助を行っています。大規模な自然災害発生後に現地で迅速に支援を提供するには、被災国の駐日大使館やJICA事務所を通じた、迅速なニーズ把握や被災国政府との調整が行われるほか、様々な国や機関の、それぞれの支援が重複してしまわぬように、様々な努力や調整が必要です。緊急援助の最前線で活躍されている江崎さんに、国際官民連携による国際緊急援助活動について寄稿していただきました。

 

                         第6回 JICA 国際緊急援助隊事務局 江崎晴香さん

                            ~様々なフィードバックを効果的な緊急援助へ~

 

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                                           江崎 晴香(えざき はるか)

 

1985年8月16日生まれ。2009年東京外国語大学卒業後、国連難民高等弁務官事務所UNHCR)駐日事務所法務部でインターンシップを行う。その後、イギリスのノッティンガム大学法学部で修士号取得。2012年より外務省大臣官房ODA評価室にて経済協力専門員を勤める。2014年より国連災害評価調整(UNDAC)要員としてバングラデシュ人民共和国で活動。2013年より、JICA国際緊急援助隊事務局緊急援助第二課専門嘱託にて業務調整要員として、2015年にサイクロン被害を受けたバヌアツ国際緊急援助隊医療チームとして派遣。同年、地震被害を受けたネパール連邦民主共和国国際緊急援助隊救助チームと同医療チームの一次隊として派遣。

 

世界人道サミットでは効果的な人道支援の実現がテーマの一つとして挙げられています。日本も人道支援の一環として、国際緊急援助を実施しています。援助の実施に際しては一刻も早く必要な支援が被災者に届くよう、災害発生直後から被災国の日本大使館やJICA事務所を通じた迅速なニーズ把握や被災国政府との調整が行われます。

 

国際緊急援助は被災国政府からの要請に基づき2国間の支援として実施されますが、支援内容については他の支援国や機関とも調整を行い、それぞれの支援に重複がないよう、また必要な支援が本当に必要としている被災者の元に届くようドナー間の連携がなされています。加えて、支援の受入れが被災国への追加的な負荷にならないために、このような連携枠組みの中で国際支援が取りまとめられています。JICAは、より効果的な支援を実現するために、緊急援助実施の際だけでなく国際連携体制の運営や構築に対しても積極的に貢献しています。

 

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                       ネパール国際捜索救助活動調整セルで国際チーム活動方針を協議する様子

 

JICAによる国際緊急援助

 

世界で発生する様々な災害のうち、JICAは地震津波といった自然災害や、事故をはじめとした紛争に起因しない人的災害に対して国際緊急援助を行っています。具体的には、日本政府が派遣する国際緊急援助隊派遣の事務局機能や緊急援助物資の供与が挙げられ、災害の規模によって単独もしくは複数の組合せで対応しています。

 

また、国際緊急援助活動に関連して、国連人道問題調整事務所(OCHA)が運営する国連災害評価調整(UNDAC)システムにも人材を派遣し協力しています。UNDACメンバーは、事前に訓練を受け登録されたOCHAスタッフや各国の緊急災害支援要員から構成されており、被災直後に迅速に被災国に入り、主に被害の初期評価や国際支援の受入れや調整を担います。日本からも、大規模災害発生時にはOCHAからの要請に答える形でUNDAC要員を派遣しています。

 

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                                ネパールでの捜索救助活動の様子(国際緊急援助隊救助チーム)

 

ネパール地震に対する国際緊急援助

 

2015年4月25日にネパール共和国で発生した地震は、国内に甚大な被害をもたらしました。日本は、発災当日に国際緊急援助隊救助チームの派遣を決定し、引き続き医療チームの派遣、自衛隊部隊の派遣や物資供与の実施と様々な支援を行いました。また、UNDACメンバーも派遣し、国際支援全体の調整にも貢献しました。

 

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                             ネパール国際捜索救助活動調整セルにおけるチーム間の情報共有

 

発災直後の混乱する被災国において円滑な国際支援を実施するために、現地の調整はUNDACが運営するOn-Site Operation Coordination Centre(OSOCC)において、それぞれの支援分野毎に行われます。OSOCCは国際支援を一括で調整することで支援受け入れに当たる被災国政府の負担を軽減するとともに、限られた支援やリソースを効果的に配置するよう調整することによって国際支援を最大限に生かすことを目的としています。国際緊急援助隊もネパール政府からの支援要請に加え、それぞれの枠組みの中で他チームと連携しながら活動を展開しました。

 

救助チームの調整は、各国の救助チームから成る国際捜索救助諮問グループ(INSARAG: International Search and Rescue Advisory Group)が作成するガイドラインに則り実施されます。この調整手法は約20年前に導入され、UNDACチームが全体調整を担うよう整備されてきましたが、昨今の大規模派遣の反省から国際ルールと救助活動両方の知見を持つチーム自らが調整要員を出すことによってより効率的な活動調整ができるよう見直しが行われてきました。このような方針は2年ほど前から徐々に国際演習に取り入れられてきましたが、ネパールでは初めて実際の現場で国際捜索救助活動調整セル(USAR Coordination Cell)が各チームの調整要員によって設置されました。これまで繰り返し実施された演習の効果もあり、セルでは計76の国際チームに対し、各チームの規模や能力に沿った活動地域の割り当て、日々の活動状況の共有、ネパール政府や他の支援分野の窓口となる等、円滑な調整活動が展開されました。

 

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                          患者に対して薬剤の処方する日本人隊員(国際緊急援助隊医療チーム)

 

医療チームに関しても、近年、活動調整枠組みの検討が進んでおり、ネパールでは救助チームと同様に医療チームの活動調整セルが初めて設置され、海外から派遣された149の医療チームがこの調整の下で活動しました。セルでは、これらの医療支援を効果的に活用するために、規模や能力が異なる各医療チームの配置の最適化が図られました。例えば、日本は今回初めて手術や透析ができる大規模なチームを派遣しましたが、日本チームの活動拠点は周辺地域に展開する他の医療チームから重症患者を受け入れるハブとしての機能を担いました。

 

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                                          患者の血圧を測る国際緊急援助隊医療チーム隊員

 

私は、今回この医療チーム調整セルの立ち上げにも携わることができました。ネパールには国際緊急援助隊救助チームとして派遣され国際チームの調整支援に当たっていましたが、後半は国際緊急援助隊医療チームの一員として、他国チームの調整要員、UNDAC、WHO、そしてネパール政府と一緒にネパール保健人口省に初めて調整セルを立ち上げました。次々と医療チームが入国していく中、混乱を避けるためにも迅速に効果的な調整システムをセットアップする必要がありましたが、私は日本チームの一員である立場を活かし、チームが活動上抱えていた課題に対し国際調整セルとして解決策を提供していくことによって、日本チームだけでなく国際チーム全体の活動環境の改善に努めました。

 

次々と入国するチームの問い合わせに追われる中での短期間での体制整理はとても忙しく、食事を取る時間も無いほどでした。活動候補地や医療用酸素ボンベの入手方法等、チームからの確認内容は多岐に及びましたが、其々丁寧に対応に当たりました。チームの利便性や満足度を高めるよう対応に努めることにより活動開始直後から多くのアクターを調整システムに巻き込むことができたため、結果として、被災国の負担を大幅に軽減することができました。

 

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                              医療チーム活動調整セルの立ち上げメンバーと保健人口省の前で

 

より効果的な支援のために

 

ネパール地震の国際支援調整については、緊急支援フェーズ終了直後から評価が開始され、今でも関係者間で改善に向けた協議や取組みが続けられています。日本も、支援チームとして、また国際調整に携わったチームとして、継続的に議論に参加しています。このように、一つの組織として様々な観点から評価やフィードバックを提供することによって、より現場活動の実態に則した国際枠組みづくりに貢献できるだけでなく、より効果的な緊急援助の実施に繋がると考えています。

 

私自身、現地での教訓やこのような国際的な流れを緊急援助隊の研修訓練企画に反映することによって、緊急援助隊の強化にも繋がるよう努めています。こういった積極的な取り組みを通じて、日本は国際緊急援助の実施者として、また国際調整枠組み策定のパートナーとして、今後も効果的な援助実施のために広く貢献することができると考えています。

 

 

関連リンク:

JICA国際緊急援助:http://www.jica.go.jp/jdr/index.html

わたしのJPO時代(13)

「わたしのJPO時代」第13回は、元WFP 国連世界食糧計画国連WFP)のアジア局長、忍足謙朗さんの話をお届けします。偶然にも外務省の方から国連で働かないかと声を掛けられたことからUNDP(国連開発計画)で働き始めた忍足さん。小さなリビアのオフィスで根幹にかかわる仕事を任され、開発分野における国連全体の活動を学ぶ事ができたそうです。

 

                 元WFP 国連世界食糧計画国連WFP)アジア局長 忍足謙朗さん

          ~偶然受けたJPO、ゼロからのスタート~

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                                                    (国連フォーラムより転載)

 

アメリカのバーモント州 School for International Training 大学院にて行政学修士号を取得。修士論文執筆中にサンフランシスコの日本総領事館でアルバイトをしているときに国連職員と出会う。国連開発計画(UNDP)リビア事務所でJPOとしてプログラムオフィサー、国連人間居住計画(UN-HABITAT)ケニア本部でプログラムオフィサーを務める。WFP 国連世界食糧計画国連WFP)ザンビアレソトクロアチアカンボジア、ローマ、コソボ、タイ、スーダン事務所で勤務し、その後、タイ事務所にてアジア地域局長を務める。2015 年から日本に拠点を移し、 国際協力に興味をもつ若い世代の育成に力を入れている。

 

 

今から36年前の1980年、私はサンフランシスコでなかなか進まない修士論文を書きながら、日本領事館でアルバイトをしていました。この先、アメリカに留まろうか、日本に帰って仕事を探そうかとさんざん迷っていた時期でした。そんな時、偶然領事館に立ち寄った外務省の方にJPOを受けてみないかと聞かれたのが、国連で働くことになったきっかけでした。筆記試験はなく、直接ニューヨークの国連開発計画(UNDP)の本部に面接に呼ばれたのですが、UNDPなど聞いたこともなく、当時はネットで調べることもできず、面接を待っている間にあたりに置いてあったUNDPのパンフレットを焦って読んだのを覚えています。今思い返しても、よく受かったなと笑ってしまいます。

 

しばらくして電話がかかってきました。いただいたオファーは北アフリカリビアへの赴任でした。リビアなんてどこにあるのかも知らず、UNDPの仕事の内容も全く想像できませんでしたが、アメリカか日本かと迷っているのに疲れていた私は、思い切ってこの第3の選択肢、アフリカに飛びついたわけです。説明会も研修もなく、契約書と国連パスポートと航空券を発行する旅行代理店の名前が郵送されてきて「サッサと行け」という感じでした。出発前に唯一自分で行った準備は、アラビア語の学校にしばらく通ったことぐらいです。契約はP1の Step 1とプロフェッショナルの中では最低ランクでしたが、まあ当然です。まだ、24歳でした。

 

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                                       愛車でリビアの隣国チュニジアへドライブした筆者

 

リビアで行われていた国連のプロジェクトのほとんどは、リビア政府がオイルマネーで活動費をまかなっており、そこで初めて国連食糧農業機関(FAO)、国連児童基金(UNICEF)、国際労働機関(ILO) 、国連工業開発機関(UNIDO)、 世界保健機関(WHO)、国連人間居住計画(UN-HABITAT)などの国連の専門組織と専門家の存在を知りました。現在のJPO候補者の方達から見たら「まさか」と思われそうですが、そんな無知をあまり引け目に感じることもありませんでした。

 

ゼロからのスタートでしたが、オフィスが小さかったこともあり、私のような下っ端でもプロジェクトの予算管理から政府との調整、次のUNDP5カ年計画の基本デザインまでほとんど任せられ、少し鼻が高かったです。そして初めての国連の職場がUNDPで良かったと思うのは、様々な国連組織との調整が主な仕事だったため、少なくとも開発分野においては国連全体がどのような仕事をしているのかがわかった事です。少し不満だったのは、あまり現場に出る機会がなく、首都トリポリでのデスクワークが中心の仕事だったことで、リビアを探検するのは毎日会うほど仲良くなったパレスチナ人やエジプト人の友人達とでした。

 

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                             2年目のJPOを終え、同僚たちが送別会をしてくれた時の一枚

 

JPOの2年目が終わる頃、UNDPには残れないことがわかり、「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」と信じて何通もの手紙をいろいろな国連組織に送りつけて、就職活動をしました。おかげさまで、ニューヨークの国連本部とナイロビに本部を持つHABITATからオファーをもらい、アフリカの異なる地域も経験したかったこともあり、HABITATのプログラムオフィサーとしてケニアに赴任しました。楽しい仲間に囲まれて、ケニアも大好きだったのですが、6年ほど仕事をした後、やはり現場で仕事がしたいという気持ちが強くなり、自分には開発支援より結果が(恐らく)見えやすい人道支援の方が向いているかもしれないと思うようになりました。

 

そこで、WFP 国連世界食糧計画国連WFP)に、「何月何日にローマ本部に寄るので会ってほしい」と自分勝手な手紙を書き、それを本部に勤めていたアメリカ人の大学時代の友人に託しました。行ってみると、幹部レベル5、6人との一対一の面接が待ち受けていました。面接を終えて、その同じ日の夕方に国連WFPの人事室に立ち寄ると、「こいつを雇え(Hire him)」と書いてある手書きの紙切れを見せられ、「まだどこで仕事してもらうかわからないけど、君を雇うよ」と言われて、その展開の速さにびっくりしました。

 

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                                            リビアにて、上司の娘さんたちと笑顔の筆者

 

その後は組織を変わることなく、国連WFPに25年勤めたわけですが、食糧支援というわかりやすい活動内容、緊急支援のスピード感、子ども達が笑顔でご飯を食べるのを自分の目で見られるシンプルな満足感がやはり自分に向いていたのだなと思います。初任地となった国連WFPザンビア事務所は小さな事務所で、当時住んでいたケニアから自分の四輪駆動車でキャンプをしながら到着しました。その後、レソトボスニアカンボジア、ローマ本部、コソボ、タイのアジア地域事務所で経験を積み、2006年にスーダン事務所を任せられました。ここは、国連WFPが世界中で使う総予算と職員の4分の1をつぎ込む、当時は世界最大の事務所でした。77国籍からなる300人のインターナショナルスタッフと3000人近い現地スーダン人スタッフと一緒にした仕事は、辛い経験や決断もありましたが、最高にやりがいがあり、本当に楽しいものでした。

 

最後に、国連WFPの人事制度では自分から次に赴任したい空きポストに応募するのが基本ですが、私の場合は少し特殊で、組織から特定のポストを依頼される事が多く、自由にキャリアを組み立てた記憶はそれほどありません。その代わりというわけではないですが、どのポストでもかなり好き勝手にやらせてもらったと感じています。自分のリーダーシップのスタイルは、そういった自由な雰囲気の中で、上司や同僚、もちろん部下からも、様々な考え方を吸収することで、培ったものだと思っています。

          

シリーズ「今日、そして明日のいのちを救うために ― 世界人道サミット5月開催」(5)

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シリーズ第5回は、赤十字国際委員会(ICRC)の佐藤真央さんです。赤十字機関の中で一番最初にできたICRCは、紛争地に特化して人道支援を行っています。赤十字というと日本では医療のイメージが先行しますが、戦禍の人々に寄り添い、命と尊厳を守ることを使命とするICRCの活動は多岐にわたります。生活の自立支援や食料・水・避難所の提供、離散家族の連絡回復・再会支援事業、戦争捕虜や被拘束者の訪問、戦傷外科やトラウマケアなど、時には紛争の最前線で現場の人道ニーズに応えます。「公平・中立・独立」を原則に、政府、反政府勢力、ゲリラ勢力などすべての紛争当事者と対話して、人々に不必要な苦しみが与えられないよう、戦争のルールを説くのもICRC独特の活動です。

 


 

  第5回 ICRC クアラルンプール地域代表部 サバ事務所所長 佐藤真央さん

       ~紛争下のプロテクション、様々なアプローチが必要~

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     佐藤 真央(さとう まお)ICRCサバ事務所所長(c)ICRC

 

日本の国際NGOピースウィンズ・ジャパンにて東日本大震災の緊急・復旧・復興支援、タイ緊急洪水対応、スリランカ北部緊急支援を経て2013年10月より赤十字国際委員会にてDelegateとして就任し、タイ南部、南スーダンに駐在した後、2016年1月より現職に至る。

 

今年5月にイスタンブールで開催される「世界人道サミット」では、国際社会が様々な視点から、いかに効果的な人道支援が実現できるのかについて議論されます。昨今の傾向としてICRCが懸念するのは、紛争の長期化です。シリアやイラクだけでなく、ソマリアコンゴ民主共和国アフガニスタン中央アフリカ共和国など、国際社会が有効な解決策を見いだせないまま、たくさんの民間人が尊い命を奪われ、家を追われています。

 

日々変貌する人道ニーズに柔軟に対応することが求められる一方で、ICRCの現場での活動は、150年以上のあいだ頑なに守り続けている原則(Principles)に基づいて行われます。紛争下で活動するICRCがミッションを遂行するにあたり普遍的に守り続けていることとは、常に人道的であること、中立であること、公平であること、そして独立した国際組織であること、です。これらによって、他の機関や団体が介入できないような紛争地域での活動が可能になり、紛争で犠牲になった人びとのニーズに見合った支援を届けることができます。アニメーション:ICRCって何をしているの?

 

また、プロテクション(保護)という分野では、すべての紛争当事者に対して国際人道法の大切さを伝え続けていくという特別な役割を担っています。戦闘行為を行っている当事者は、人道法の柱の一つで、戦時下のルールを定めたジュネーブ諸条約によって次のことが求められます。①戦闘員と民間人の区別②民間の犠牲が軍事成果を上回らないこと③攻撃前の事前警告。こうした武力行使をする際の約束事に加えて、戦闘員以外(民間人や捕虜、傷病兵、医療従事者、難民など)の保護や、離散家族間の連絡回復、行方不明者の捜索に便宜を図ることなどの義務が伴います。その、紛争当事者が「便宜を図る先」というのが、何を隠そう私たち赤十字なのです。国際人道法の守護者としてのICRCの役割はこちら

 

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武器や兵器を携える組織や勢力に戦争のルールを直接説くことも、ICRCならではの重要な役割 (c)Getty Images/ICRC/Tom Stoddart

 

たとえば、収容所に囚われた捕虜などの被拘束者を訪問し、拷問や虐待を受けずにきちんと人道的な扱いを受けているか、暑さ寒さがしのげるなど収容環境が劣悪でないかなどについて、当局等と連携しながらモニタリングを行っています。アニメーション:収容所の訪問はなぜ必要?

 

国際人道法の“番人・守護者”としての役割

被害者の尊厳を守りながら、彼らのニーズに対応することが重要であると同時に、支援する側の身の安全を確保することも欠かせません。人道支援者が攻撃や誘拐の対象となる現在、激しい戦闘が続く紛争の最前線で支援を行うには、セキュリティ管理や現場の状況分析をきちんと行ったうえで、常に中立の立場で紛争当事者すべてと対話を続けることが肝心なのです。

 

私が駐在していた南スーダンでは、スーダンから分離独立した二年後の2013年12月より内戦が勃発し、和平合意がされた現在でも、度重なる治安の悪化や食料不足、干ばつや洪水等の自然災害から多くの人びとが移動を強いられてきました。衣食住の確保や基本的な医療へのアクセスがままならず、不安定な状況が続いています。私たちは、政府軍・反政府軍どちらとも対話を丁寧に重ね、南スーダンの10州すべてにおいて、それぞれの現状に見合った活動を続けることで、人道支援者のセキュリティを確保すると共に、人道ニーズへのアクセスを可能にしています。例えば、ICRCの移動外科チームは、政府軍・反政府軍を問わず医療機関が機能していない地域に出向き、市民や負傷した兵士に対して、救急手術や戦傷外科を施します。また、南スーダン軍と反政府軍の双方に対して国際人道法の遵守を訴え続けることも、大切な任務の一つです。いかなる紛争下であっても市民が犠牲になってはいけないこと、医療機関や医療関係者、患者や負傷した兵士を攻撃の対象としてはいけないこと、被拘束者を人道的に扱うこと、子ども兵士のリクルート禁止等を訴えます。悲しいことに、すべての国が守るべきはずの国際人道法が必ずしも遵守されていないのが現状です。

 

  

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安全な水を住民に届けるため、ポンプ式の井戸の建設や維持も手掛ける(c)Getty Images/ICRC/Tom Stoddart

 

私が今駐在しているマレーシアは紛争下にないため、紛争予防の一環として、人道法の大切さを伝えて続けています。政府関係者や治安部隊のみならず、市民社会や大学等のアカデミックの分野を通じて、人道法についてのカリキュラムを大学と合同で作成したり、作文やロールプレイ・コンテストを開催することで、平時における国際人道法の促進に努めています。

 

紛争という複雑で緊迫した状況下で、治安部隊や武装勢力と対話を重ね、支援が必要なすべての人びとへのアクセスを得るためには、ICRCが政治的な介入をしない独立した組織であることに加え、私たちの支援の対象となる人々の選定は公平かつ独自に行うこと、当局との対話は原則全て非公開で行うことを理解してもらわなければなりません。ICRCは、戦時のルールを謳うジュネーブ諸条約から特別な権限を得て活動していることから、国連や他の国際組織との連携が難しく、現場で人道問題について話し合うクラスターミーティングでは、アクティブ・オブザーバー(積極的傍観者)という立場を維持します。また、国連総会などニューヨークの国連本部における行事においても、オブザーバーとして参加します。他団体と話し合って役割分担をするのではなく、ICRC独自のニーズ調査によって、活動地域や支援の規模、対象者を決定して、中立性・独立性を保ちます。刻々と変わる状況下で、現場ではどんな支援が一番求められているのか。それらのニーズに最大限応えるために、私たちは様々なアプローチをします。赤十字にしかたどり着けない人々、自治体や当局、他団体ができない喫緊の支援を優先します。

 

その一方で、現場の支援の重複を避けるために、他団体とのコーディネーションを円滑に行うことも必要です。例えば、南スーダンのレイク州では、近年の紛争が勃発して以来8万を超える人びとがジョングレイ州から命からがら避難してきました。ICRCはまず緊急物資の配付を行い、のちに国連や国際NGOと連携して避難民キャンプを立ち上げました。それぞれの団体が強みを活かした支援を提供する中で、ICRCはどこも手を付けていない約300基の簡易トイレを建設。同キャンプは内戦勃発から2年以上経った現在でも、国連や国際NGOにより運営が継続され、簡易トイレは避難民や地元住民のメンテナンスによって現在も使用されています。

 

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スーダンでの活動は、地元の赤十字社と密接に連携して行われる。土地勘や言語の問題など、赤十字社のボランティアの貢献は計り知れない。(c)Layal Horanieh/ICRC

 

世界最大の人道ネットワーク

赤十字のユニークな点は、支援はすべて赤十字の名の下行われるということです。そもそも赤十字の世界規模での活動は、赤十字運動(正式名称:国際赤十字赤新月運動)と呼ばれ、3つの機関から構成されています。紛争地での人道支援は私たちICRCが主導します。紛争地以外の人道支援、たとえば災害救助活動や保健・医療・社会福祉事業などは、日本赤十字社のような各国赤十字赤新月社がそれぞれの国の実情に応じて実施します。2016年1月末現在、世界には190の赤十字社赤新月社があり、その国際的な連合体が、国際赤十字・赤新月社連盟です。これら3つの赤十字機関は、人道を柱に、独立、中立、単一、公平、世界性、奉仕という、7つの共通の原則を掲げ、いまや1700万人ものボランティアを抱える、世界最大の人道ネットワークを有します。赤十字運動と7原則についてはこちら

 

中立性や独立性を重んじるICRCの現場での活動は、通常現地の赤十字社イスラム圏では赤新月社)と連携して行われます。National とInternational 双方のアプローチを、赤十字の7原則の下に実施するのです。私がした当時、南スーダン赤十字社は世界で一番新しい赤十字社で、設立して間もなく内戦が勃発したので、彼らのキャパシティ・ビルディングを行いながら地域社会の再建能力を高める必要がありました。意識の高いたくさんのボランティアの力を借りて、衛星電話や赤十字通信(赤十字が家族に届ける簡易書簡)、写真付き登録簿などのツールを通して、離散した家族の連絡回復、再会を支援しています。必ずしも電波の届かない南スーダンのような国では、離ればなれになった家族に手紙を届けることで安否確認を試みますが、特定の住所を持たない地域では、ボランティアの知識やネットワークなしでは、手紙を届けたり行方不明者を追跡することはできません。また、急に紛争が激化する可能性を踏まえて、現場にいる市民や傷を負った兵士が自ら命をつなぐことができるよう、応急処置のトレーニングも連携して実施しています。私が所長を務めるマレーシア東部のサバ事務所も同じように、地元の赤新月社と密に連携しながら、移民や無国籍者など、基本医療を受けることができない最も脆弱なコミュニティに対して、公衆衛生のセッションや応急処置のトレーニングを行っています。

 

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離散家族の再会に向けて作成された写真付きの登録簿。最新の登録簿には、南スーダン国内だけでなく、隣国に逃れた老若男女の顔写真およそ500名分が掲載されている。うち、身内や親族に確認されたのは150名で、赤十字通信によって便りのやり取りも可能となっている(c)Layal Horanieh/ICRC

 

このように、ICRCは地元の人々が自分たちの足で立ち上がれるよう、世界各地で赤十字赤新月社と手を携えています。それにプラスして、地元当局と自治体を巻き込みながら、現地に暮らす彼らの手、意志によって再建へと導くことが最も重要だと考えています。

 

「戦争とはいえ、やりたい放題は許されない」

紛争により犠牲になったすべての人に手を差し伸べ、必要な支援を届ける私たちのスローガンは、「戦闘とはいえ、やりたい放題は許されない~Even Wars have limits」。最大限に紛争の犠牲者を守ろうとするのであれば、国際人道法の尊重が第一であるべきだとICRCは考えています。軍事目標と民間人・民用施設を区別しない無差別攻撃や、紛争下の性暴力、違法な拘束、意図的な食料難は、人道法違反のみならず、いかなる組織も手の付けられない重大な人道危機の引き金となりますアニメーション:戦時の決まりごと

 

今回のサミットを機にすべてのアクターが紛争下のプロテクション(現場の人々の保護)の重要性を再認識して果敢にチャレンジしない限り、人道支援はこれまでと何ら変わりない日常茶飯事の一コマ(“business as usual”)にしかなりえない、というのがICRCの危機感です。人々を守り救うには、一つの効果的な形を見出すのではなく、さまざまなアプローチが存在すべきだ、という持論です。もはや人道支援は、どのくらいの価値の支援が行われたか、自分たちがどれくらいの支援を行ったか、という競争やアピールの場であってはなりません。刻々と変わる現場のニーズの把握、支援を届けるためのアクセスの確保、支援対象者に寄り添うこと、そして正確な情報に基づいて活動を展開することで、初めて有効な人道支援が可能になるのだと思います。

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紛争解決や平和構築を国際社会が模索する一方で、紛争に巻き込まれ暴力の犠牲となった人々に寄り添い、支援を届けるのが赤十字の仕事。(c)Getty Images/ICRC/Tom Stoddart

 

紛争下には、数多の支援が存在します。それぞれのアクターが自分たちの得意分野や直面している課題などについて打ち解けた議論をすることで、今回の世界人道サミットがより現実的で、相乗効果の望める支援の形を再構築する場となることを期待しています。

 

 

赤十字国際委員会ICRC)とは

「公平・中立・独立」を原則に、紛争地で活動する国際人道支援組織。本部はスイス・ジュネ―ブ。

 

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赤十字国際委員会